第10章 天命のタブレット


もうひとりのメシア

バエル城から脱出したら、そろそろ渋谷も復興が進んでいるころなので、戻ってみることにしよう。大天使ガブリエルによって、結界が復活しているはずだが、いまや印を持つ者、選ばれた者となった葛城は、なんの苦もなく結界を通り抜けることができる。

渋谷は、以前とは見違えるように蘇っていた。すべてが整然と区画された空間は秩序だっていて、清潔で、通路には塵ひとつ落ちていない。悪魔が侵入していたのがまるで悪夢のようだ。店も、武器屋と防具屋が開店している。ただ、残念なことに、品ぞろえはそれほどいいとは言えない。武器屋には、臨海コロシアムに並べられていたものより強力な品は見あたらないし、防具屋にいたっては、アメ屋プラザや浅草地下駅ビルと大差ないありさまだ。つまり、武器や防具をそろえるなら、他へ行った方がいいということ。

宝石を入手できたり、天使が無料で治療を施してくれるなど、少しは特典があるが、重要なのはそういったことではない。渋谷に戻ってくるべき最大の理由は、貴重な情報が手に入ることにある。それらは膨大なもので、一度聞いただけでは、とても理解しきれないくらいだ。

うんざりするほど耳にするのは、信仰に篤い住民たちの声である。だが、その言葉の裏には、あからさまな選民思想がある。彼らは言う。大事なのは欲望をコントロールし、無垢なる魂を神に捧げることだ、と。渋谷の外にいる人間たちは、形だけ祈りをまねているだけで、その実欲望に身を委ねているから、いつまでたっても渋谷に入ることを許されない。結界は内側からのほころびに弱いので、邪気を帯びた選ばれざる人間が足を踏み入れることはかなわない、というのだ。

しかし、結局彼らが言いたいのは、自分たちは選ばれた人間だ、ということでしかない。渋谷はもう安心だ、という人のなんと多いことか。それはその昔彼らの教祖が見せたはずの、贖いのための自己犠牲とは、無縁の態度である。しかも、彼らは決して外の人々を受け入れようとはしないのだ。それでいて、非力な自分たちに代わって、葛城に悪魔と戦ってくれるよう頼んでくる。その思い上がりや身勝手さに気づいているのだろうか? しかし、と葛城は思う。シェルターにいた時代の自分たちはどうだろう。やはり、地上との交流を断ち、地上の人々のことなど、気にもかけない生活を送っていたのではなかったか。彼らもそれと同じ。しょせん人間は我が身がかわいいものだ。渋谷中を歩き回ってみても、すべての人々を受け入れる必要がある、と言ったのは、一人の少女だけであった。

さて、肝心の情報の方だが、まず大事なのが、バプテスマ(洗礼者)のヨハネとサロメに関するエピソードである。バプテスマのヨハネとは、イエス・キリストに洗礼を施したとされる人物で、ここではユダヤ教のエッセネ派に属していたことが語られる。

ここで、エッセネ派について少し触れておこう。理解の助けになるはず。エッセネ派の起こりは、紀元前2世紀の後半ごろ。パリサイ派やサドカイ派といった大勢力に比べ遙かに小さかった。俗世間から離れた場所で農業を中心に質素な共同生活を営み、財産の共有、独身主義、菜食、安息日の厳守といった点が特徴であった。これらはすべて、俗世の汚れを断ち切るためである。自分たちは新しい契約のもとにいる、主の神殿は石によってではなく、神にあくまでも忠実な者たちによって築かれている、と考えた。そのエッセネ派に属する小さな共同体のひとつが、クムラン教団といい、死海文書の名で知られる文書類を残したのである。この死海文書の記述の中で、偽典のストーリーと関わりがありそうなのが、メシアはふたり現れる、という点だ。それは、アロンの系譜を引く世俗的なメシア(モーセの律法を建て直す者)と、イスラエルの系譜を引く祭司的なメシア(律法の解説者)である。この考えによれば、バプテスマのヨハネが前者に、イエス・キリストが後者に該当する。葛城はガブリエルから、あなたはメシアではない、と言われてしまったが、もしメシアがふたりいるとしたら……。

エッセネ派の人々は、ここでは大いなる神と悪魔との戦いに関与していたことになっている(死海文書に、光の子たちと闇の子たちの間に戦争が起こるとされていることの反映であろう)。バプテスマのヨハネは、その計画に従い、イエスに洗礼を与えたのだという。つまり、イエスもエッセネ派に属していたことになる。そして、サロメは、ユダヤの王ヘロデの娘である。このヘロデは、みずからの地位を脅かすユダヤの新たなる王、すなわちイエスが生まれることを知って国中の嬰児を虐殺したヘロデ王の息子にあたる。ヘロデ・アンティパスが正式な名前だ。イエスを磔にしたのも彼だとされる(ローマ人の総督ポンティオ・ピラトの命令によるとするのがより一般的だが)。あのローマのアウグストゥスが、「ヘロデの息子であるよりは、豚である方がましだ」と言って軽蔑したという話もあるが、その「ヘロデの息子」の娘(ちょっとややこしいが)が、サロメなのだ。サロメは、ヨハネに恋をしたが、ふられたので、父王の前で一枚ずつ服を脱いでいくという淫らな踊り(『7つのベールの踊り』)を踊り、その褒美として、ヨハネの首を所望した。その言葉通り、ヨハネの首はサロメに差し出されたのである。この話を語ってくれた女性は、葛城に、敵はあなたの周りにもサロメを放ってきます、と警告してくれる。

ちなみに、ここでいうサロメは、聖書に出てくる方ではなく、オスカー・ワイルドの『サロメ』(1893)に出てくる方のサロメである。サロメは皿に乗せられた生首に接吻して笑ったという。不気味に思った父王は命令一下、兵士たちに彼女を盾で押しつぶさせた。皿に乗せられた生首のイメージは、バエルの部屋にあった由宇香の生首に投影されているようである。

3階では、相変わらずガブリエルが結界を守るために力を放出し続けている。まず、岳克美の話を聞こう。彼女によれば、バエル城は、結界が無効になって以降、修復しようとする動きを見せていない、という。バエル城ほど巨大になると、結界の維持のためにはガブリエルの5倍分以上の霊力が必要になるとか。それにしても、まるで葛城のことを誘っているようにも見える。そういえば、葛城たちが侵入したときも、主のバエルは不在で、由宇香の首が置きっぱなしになっていたのだった。岳克美は、配下に情報機関として調査官を擁している。彼らの調査結果を聞くように言われるので、大広間に向かう。ガブリエルがいる聖堂の真向かいの部屋だ。

中には大勢の調査官がいて、彼らの調査結果を教えてくれる。それによると、バエルが由宇香を八つ裂きにしたのは、転生したイシュタルが、己の意に染まぬ心をもっていたからだという。配下に喰わせたのも、単に保存のためばかりではなさそうだ。また、イシュタルの分霊はふたりいて、由宇香がそれにあたることはわかっているが、もう一人はわからない。バエルにも分霊がいて、アドニスやバールハダドがそれにあたるが、それらが斃されるたびに、バエルの力は強大化しているという。現在バエル城には月300人以上の人間が生け贄として送り込まれているようである。イシュタルを自分に従順な妻として復活させ、その性的パワーを引き出して、東京を新バビロンとして魔都化することがバエルの目的だ。もちろん、その支配者はバエル自身である。

イシュタルの分霊については、ここまでくれば推測がつくというものだ。それはおそらく飛鳥泪であろう。だが、泪はなにも語らない。泪は、バエルによって放たれたサロメなのだろうか。だが、葛城を殺すつもりなら、そのチャンスはいくらでもあったはずではないか? ひとつの謎が明かされるごとに、別の謎が湧いてくるといった具合だ。

イシュタルの性的パワー、それはヒンドゥー教でシャクティと呼ばれているもののことである。シャクティとは、神の内部に宿る神聖なエネルギーのことであり、女神はそれを引き出す媒体となるのだ(ちなみに、シャクティとは、『力』を意味するシャークタの女性形名詞である)。ヒンドゥー教の主な男性神に必ずと言っていいほど配偶者として女性神が配されるのは、男性神の力を引き出すためのパートナーが必要だと考えられたからである。要するにシャクティとは性的な興奮、歓喜を宗教的な次元にまで高めたものなのだ。このシャクティ信仰を象徴するのが、右半身がシヴァ、左半身がその妃パールヴァティーで、両者が合体した姿で表される、アルダーナリシュヴァラである。

ところで、こうしたいわゆる性魔術の系譜というのは、世界中に存在する。20世紀最大の魔術師アレイスター・クロウリーがこの分野の実践者として有名だが、ドイツの「O・T・O」や、『理趣経』などの影響を受けた密教系の邪宗である真言立川流(江戸時代に大弾圧を受けたことで有名)、そしてチベット密教の一部にもこの傾向があるようだ。

調査官の一人は、自分の調査結果はここでは言えないので、部下に言付けた内容を聞いてくれ、と言う。2階の、指示された部屋へ。そこには部下が待っていて、情報をくれる。

その内容は、イエスの死に関するものである。イエスは、十字架に架けられる前に、マグダラのマリアらの巫女によって香油を塗られた。神聖売春を行っていた巫女によって油を塗られることは、聖王としての証である。すなわち、一定期間王であり、その期間が過ぎるか、力が衰えたときには、女神に仕える者によって殺され、大地すなわち女神自身に捧げられて豊穣を約束する存在となる。これは、バール神と共通する要素であり、メシアたるイエス・キリストと魔王バエルが同じ聖王の属性をもつかもしれないということになる(ちなみに、マグダラのマリアをイエスの恋人であるとする俗説があることにも注意が必要だ)。

たしかに、これではほかの調査官の前で調査結果を報告することはできないだろう。これは、非常に異教的な解釈だからである。そして、バエルがメシアと同じ属性をもつのだとすれば、バエルの分霊たる葛城もメシアと同じ属性をもつことになる。葛城はバプテスマのヨハネのように、メシアが現れる前の露払いのような存在だという。だが、それはメシアはひとり、という唯一神サイドの考え方である。もしエッセネ派が考えたようにメシアがふたりなら、葛城は、世俗的なメシアにあたるはずだ。

一定期間が過ぎたあと、殺され、捧げられる王のモチーフは、マヤ文明やケルトの神話などに見られる、と調査官のひとりは語る。では、この話が指していると思われるケルトのエピソードを挙げておこう。トゥアハ・デ・ダナーン(女神ダヌーの一族)と呼ばれる神々の中の王であった『銀の腕の』ヌァザは、戦争で利き腕をなくし、王位を失った。これは、王が民族の象徴であったためである。つまり、王が不具であることは、民族が不具であることを意味するので、王は常に完全なるものでなければならなかった。だが、ヌァザは民に支持されていたため、王位を失うだけで済んだ。本来ならば、神官であるドルイドによって殺され、血の贖いをしなければならなかったのだ。

マヤ文明については、雨乞いのためにピラミッドの頂上で生け贄を捧げたことが知られている。マヤ文明が栄えたメキシコの高原地帯は河ができにくく水の確保が難しかったので、雨が民族の存亡を握ったのである。そこで、雨は神からの恵みの水であり、それに対し、人々はみずからの持つ水、つまり血を捧げねばならないとする信仰が生まれた。犠牲者は身体を青く塗られて聖別されたという。だが、筆者の調査不足で、王が捧げられたかどうかについては今ひとつはっきりしていない。

渋谷では、これらの「真実」が語られる。背景を知らなければ、情報の洪水に翻弄されるばかりだろう。しかし、情報を整理したうえであらためて見返してみてわかることは、偽典は、「もうひとりのメシアの物語である」ということだ。葛城はメシアなのだ。そうである以上、葛城は東京とそこにいるすべての人々の運命を握っていることになる。つまり、葛城すなわちプレイヤーが選んでいく選択肢のひとつひとつが、未来をつくっていく、ということになるわけである。

八重洲地下街

渋谷を出て、次になすべきことは、由宇香のパーツをそろえることだ。だが、残りのパーツはどこにあるのだろう。情報を求めてあちこち回ってみる。すると、品川ホテルで新しい情報が入る。八重洲にいた子供たちが、地下街に住み着いているというのだ。しかし、八重洲に以前行ったときは、瓦礫の山しかなかった。いるのは孤児たちばかりで、大人の姿は見かけなかった。子供たちの力だけで街が作れるものだろうか?

半信半疑で八重洲へ。以前は瓦礫の山に近づこうとするとリーダーらしき少年に追い払われたが、いまやその瓦礫もなくなっており、立派な入り口ができている。悪魔が侵入していないところを見ると、結界が張られているようだ。

中に入って階段を下りる。地下には、やはり街ができていた。中は広く、作りもなかなか立派で、子供の手で作られたものにはどうしても見えない。もともとあった施設を利用するにしても、ここまでは無理だ。

話を聞いて回る。やはりいるのは子供たちばかりだが、一様にマルドゥーク様、マルドゥーク様、と口にする。ちょっと待てよ、マルドゥーク? どこかで聞いた名だ、と思うが思い出せない。

孤児たちは、マルドゥークに戦い方、勉強の仕方など生きるために必要な知識や技術のすべてを教えてもらったという。街も、マルドゥークが作ったようだ(子供たちも手伝ったかもしれないが)。食料を集め、結界を張って街と子供たちを保護している。

そんなこと、大人でもたったひとりの人間ができるはずがない。そう思って聞いてみると、やはりマルドゥークは悪魔だという。しかし、孤児たちは悪魔に両親を殺されているのだ。悪魔を恐れ、憎み、嫌うのがふつうのはず。なのにマルドゥークはその子供たちの心をしっかりとつかんでいる。しかも、歩き回ってみて気づくことだが、街には店が一軒もない。そもそもお金は使われていないらしく、必要な物資をマルドゥークが平等に分配して共同生活を送っているようだ。みんなそれに納得して従っているらしい。マルドゥークはよほど尊敬されているのだろう。どんな人物(?)なのか、この目で確かめてみる必要がありそうだ。

ちなみに、街にはコンピューターの端末があり、セーブが可能で、マップデータもダウンロードできる。あと、邪教の館がなぜかある。出口がもう一カ所あって、そこからは大手町駅の地下につながっている。鬼女ランダや邪龍ラドンがうようよいるところだ。

子供たちのひとりに、どこかで見たような顔がある。周りから英多と呼ばれている少年だ。八重洲が瓦礫の山だったころの、孤児たちのリーダー格がこの子だ。年上の子供たちからも一目置かれる存在で、マルドゥークにもかわいがられているらしい。ただ、どこかで見たような顔、というのはもっと前に見たことがある、という意味。そう、英多は初台シェルターで母親とともに酷い死に方をした、知多にそっくりなのだ。葛城がそう思って英多の顔をじっと見つめると、英多は不思議そうな表情で言う。マルドゥーク様も、時々そんな顔で俺の顔を見るんだ、と。マルドゥークは、これも不思議なことに、葛城のことを知っていて、葛城に会いたがっているという。ますます謎は深まるばかり。

地下へ降りる階段は2つある。ひとつは居住区の一部につながっていて、子供たちが住んでいる。もうひとつが、マルドゥークの部屋に通じている。そのエリアには魔法の宝箱と泉がある。宝箱の中身はオパール。泉では無料で傷を癒すことができる。

マルドゥークの部屋の前にある通路では、なぜかコンピューターが作動しなくなる。これは結界のせいか? 中に入ると、マルドゥーク本人がいる。その姿を見たとき、葛城の脳裏に浮かんだのは、精神世界で見たひとつのヴィジョン。たしかラビスシジルがどうの、とか言っていたはずだ。

マルドゥークは親しげに話しかけてくる。が、どう考えても、直接会った記憶はない。 ただ、悪魔とはいえ、信頼のおける相手のようだ。葛城が信用する様子を見せると、マルドゥークは笑い出す。悪魔を信用するとはやはり甘い、と。だが、あざけっている口調ではない。むしろ懐かしんでいるようだ。その声、様子、しゃべり方……葛城に思い当たるところがあった。姿形こそ変わってしまったが、目の前にいる人物は、間違いなく西野義雄、ずっと行方を追い続けてきた隊長だ。

西野は真相を語ってくれる。西野は対科学戦スーツを着て、早坂や英美と一緒に地上へ脱出したあと、妻の陽子、息子の知多、そして葛城をも守れなかった自責の念からふたりと別れ、たったひとりで東京をさまよった。途中で悪魔の攻撃によって仮死状態になったが、そのとき魂は古代メソポタミアに飛んで己の前世たるマルドゥークと邂逅を果たし、蘇った。西野もまた、マルドゥークというアッカドの古代神の分霊を宿していたのだ。

その後、相馬三四郎と出会って旅を続けていたところ、護国寺でアスタルテの襲撃に会い、炎に焼かれて命を落とした。それは、あまりにも早すぎる死だった。まだ覚醒も果たしていなかったのだ。より多くの経験を積み、能力を高めた状態で本体と融合することが、分霊の本来の役割である。しかし、西野はあまりに未熟すぎた。役割を果たすどころか、このまま融合すればマルドゥークの霊的バランスが崩れるなどの悪影響を及ぼしかねない。そこで、やむなくマルドゥークは西野の魂と合体した。本体が分霊の方に合わせたのである。その結果、復活した西野は、意識こそ西野のままだったが、その姿や能力は、マルドゥークそのものになっていたのだった(ちなみに、葛城が早坂や英美とともにシェルターを脱出していた場合、毒ガスで仮死状態になったことになっている)。

覚えているだろうか。ムールムールが、初台シェルターで、西野を見て何か思い当たるふしがあるように言っていたことを。大悪魔たるムールムールは、そのときすでに西野の魂に秘められた分霊の存在を嗅ぎ取っていたのだ。いま、それが明らかになった。だが、マルドゥークはその力のすべてを蘇らせたわけではない。本来なら、イシュタルにも匹敵する力を持つはずなのだ。神話上のマルドゥークは、混沌の地母神ティアマトの心臓を弓で射て殺し、その身体から天地を創造した最高神なのだから。おそらく、もっと経験を積んでマルドゥークの中の西野としての部分が覚醒段階に至れば、マルドゥーク本体の霊的パワーをすべてコントロールできるようになるはずだ。マルドゥーク本体も、それを期待していたのだろう。

西野としてのマルドゥークは、もはや過ちを二度と繰り返すまいと心に誓った。子供たちに未来を託し、悪魔と人間が本当に共存できる世界を目指そうと思った。そこで、八重洲の瓦礫の山で孤児として暮らしていた子供たちの嘆きを聞き、彼らを保護し、世話することにした。

西野の心中には、亡くなった息子の知多と、(亡くなったと思っていた)息子も同然の葛城のふたりへの、罪滅ぼしという気持ちもあったのだろう。責任感の強い西野のことだ、「自分のせいで死なせてしまった」と考えて自分を追いつめていたとしても不思議はない。それに、葛城を守れなかったということには、もうひとつの意味がある。自分の上司であった葛城の父が死んだとき、葛城の父は最期に「史人を頼む……」くらいのことは言ったかもしれないのである。すると、その約束を果たせなかったということもまた、西野の心に重くのしかかっていたのではないだろうか。

知多に年格好がそっくりの英多をかわいがったのは、こうしたいきさつがあった。ところが、マルドゥークは、ふとしたことで葛城が生きており、悪魔を斃して活躍していることを知り、再会できる日を心待ちにしていたのだった。

和やかな会話の途中で、突然、部屋に一人の男が入ってくる。振り返ってみると、山瀬ではないか。彼に会うのは、代々木労働キャンプ以来である。だが、再会を喜ぶ気には無論なれない。それは、マルドゥークも同じらしい。山瀬は悪魔に追われて逃げてきた、などとしらじらしく声をかけてくるが、マルドゥークは耳を貸さない。山瀬はあのとき以後も悪魔に取り入り、いまや幹部クラスにまでのし上がっているらしい。その山瀬が、なにをしに来たのか。いやな予感がする。「悪魔のくせに善人ヅラしたのが悪かったなあ」、そう言って山瀬はニヤリと笑った。

山瀬の話では、八重洲の存在は悪魔の幹部連中にとって、相当目障りらしい。だが、強力な対悪魔結界があるのでおいそれとは近づけないが、人間ならば入ることができる。そこで、山瀬が選ばれたというわけだ。中に潜り込んで悪魔を召喚すれば、内部から陥落させるのは容易だ。DDMが使えない以上、これがもっとも確実な手段と言えた。

マルドゥークは、初台シェルターで人々を見殺しにした山瀬の罪を非難する。山瀬は知らん顔だが、マルドゥークが西野の姿に変じたとたん、顔面が蒼白になる。さすがにマルドゥークの正体までは知らなかったようだ。山瀬の身体に、戦慄が走る。恐怖と焦りとで、アームターミナルを操作する手が震えている。「おまえは責任をとらねばならぬ……」。西野はマルドゥークの姿に戻り、弓に矢をつがえてそう言った。やった、召喚が完了した、早く出てきてくれ……山瀬がそう言ったとき、矢は放たれた。矢はまっすぐに山瀬の胸に吸い込まれ、心臓を貫く。もっと昔に生まれたかった……隊長、先に地獄で待ってるぜ、とマルドゥークに向かって最期のセリフを吐き、山瀬は息絶えた。

部屋中が冷気に包まれる。悪魔が出現する前に見られる、独特の現象だ。ゆっくりと、悪魔が姿を現した。それは、由宇香を喰らった悪魔のひとり、ラマシュトゥだった。

ラマシュトゥは、メソポタミアで熱風の魔王として知られるパズズの、妻にあたる神である。パズズと同じくらい強力な魔力を持つとされ、満たされない食欲をもっている。産褥熱を引き起こしたり、年端もいかない子供をさらったり、病気にしたりしてその血をすすり、骨肉を喰らう。獅子の頭とロバの歯を持つ人間のような姿をしており、2匹の蛇と2匹の犬がその使い魔である。

マルドゥークと出身地を同じくする悪魔なので、マルドゥークのことは当然知っている。本来ならマルドゥークとラマシュトゥの一騎打ちになるところだが、ラマシュトゥにとって葛城はかわいいアドニスに仇なす者である。まとめて殺してしまう気のようだ。

マルドゥークは、バールハダドがそうであったように、豊穣の装備に身を包んでいる。ただでさえレベルと能力が高いので、心強い味方だといえる。銀の腕時計を持っているのは、葛城と同じく、葛城の父からもらった形見だからである。魔法は、メギドが使えるほか、降魔矢などの特殊攻撃がある。それに対するラマシュトゥは、アギダイオンやダムドラオンといった魔法を操り、攻撃力と体力が高い。こちらの魔法はそこそこ効くが、やはり剣と補助魔法のコンビネーションでいくべきだろう。

ちなみに、ここでマルドゥークから豊穣の装備を剥ぎ取ることができる。とくに防具類は他では手に入らない強力なものだ。しかも、これらの装備を身につけていると、歩いているだけでどんどん体力が回復する。豊穣なる大地の霊力を身に浴びることができるというわけだ。だが、これをやってしまうとゲームの雰囲気を損なうことおびただしい。やはり禁じ手にしておくことをお勧めする。

ラマシュトゥを撃破する。だが、斃したわけではない。ラマシュトゥは一枚の石版を取り出す。マルドゥークの表情が変わった。それは……と言い終わる前に、マルドゥークの身体は石版に吸い込まれてしまった。

ラマシュトゥが哄笑する。愚かな人間などに魂を奪われず、その知恵を残していれば見抜けたものを、と。それこそは、古代メソポタミアの英知の結晶、ラビスシジルの石版であった。そこには、神々の名が刻まれているという。

その石版は、またの名を天命のタブレットともいい、神々の王たる象徴である(一般には、粘土板であるとされる)。そのタブレットを持つ者は、神々を含め地上におけるすべての生き物の天命を決めることができる。その力ゆえ、すべての神々に命令を下すことができるのだ。もとはティアマトがもっていたが、夫キングーに渡され、両者を滅ぼしたマルドゥークは、タブレットを胸につけてから、天地の創造を始めたという。かのモーセが唯一神より賜ったという、十戒の石版のモデルでもある。

ラマシュトゥは、邪魔な葛城たちを消してから、おもむろに八重洲を破壊しようという魂胆らしい。もちろん葛城とておめおめと逃げ出すわけにはいかない。マルドゥークの、西野のかたきを討つのだ。

だが、ラマシュトゥは葛城たちを見くびり、まずは配下の聖獣満月の犬と新月の犬を差し向けてくる。こいつらはただの使い魔とは思えないほど手強い。ラクンダやタルンダでこちらの戦闘力を落とそうとしてくる。体力もかなり高い。

使い魔を斃すと、ラマシュトゥ本人との闘いである。マルドゥークの援護がなくなった分、こちらの戦力は低下している。しかも連戦である。ラマシュトゥの力は同じでも、苦戦は免れない。ただ、コンピューターは使えないはずが、なぜか仲魔は召喚できるので、強力な仲魔をそろえておきたい。

斃すと、ルビーを落とす。緒戦でもルビーを落とすので、合計2個手に入るわけだ。そして、由宇香の胸部を取り戻せる。だが、石版に変化はない。マルドゥークが復活する様子もない。

背後で女の子の泣き声がする。知多もいる。ふたりはいままでの様子をすべてのぞき見していたらしい。知多は女の子を叱って、部屋に帰す。知多だけが残った。知多にとっても、マルドゥークが石版の中に消えてしまったのは相当ショックだったようだが、気丈にも涙は見せない。そして、ある決意をする。マルドゥーク様の力を借りずに、みんなで力を合わせて生きていく、というのだ。マルドゥーク様の意志を無駄にはしない、とも。葛城は、石版の封印を解く方法を見つけてくれと頼まれる。口止めもされた。マルドゥークは、悪魔を倒す旅に出たことにしておくらしい。

精神世界のヴィジョンで、マルドゥークはラビスシジルの石版の封印を解いてくれ、と言った。精神世界は葛城の魂の記憶なので、マルドゥークがこうなることはあらかじめ定められた運命だったということになる。ラマシュトゥによれば、石版に閉じこめられると、輪廻の枠からも外され、永久に闇の中で生き続けなければならなくなるらしい。いったい、石版の封印を解く方法は見つかるのだろうか。

金星教団の真実

八重洲地下街を出る。地上へ出る場合も、大手町駅へ出る場合も展開は同じ。ここでは、地上へ出ることにする。八重洲から歩き出そうとすると、母なる金星の巫女がふたり、待ちかまえていた。角生静那が、葛城に話があるという。有無を言わせぬ口調。母なる金星に連れていかれる。

最上階の、静那の部屋。いつもの穏やかな様子とは違う、思い詰めた顔をした静那が、そこにいた。口調も、心なしか落ち着きを失っているようだ。

静那は、ずっと悩み続けていたという。イシュタルに仕える者である以上、イシュタルの復活は切望している。しかし、イシュタルが復活すれば、聖王たる角生かづさは女神に捧げられ、殺されてしまう。イシュタルの復活と息子の死との狭間で、静那の心は揺れ動いた。しかし、親心の方が勝ってしまったのだ。静那は葛城を襲わせ、殺そうと考えた。葛城に由宇香の身体のパーツを集めさせないためである。それが、あのとき銀座で無数のバール兵に襲われた事件の真相だった。

だが、その計画は失敗した。かづさに葛城の存在を知られたため、静那は葛城を助けることにした。それでも、諦めたわけではなかった。葛城は着々とパーツを集め、あとは腹部と心臓を残すのみ。イシュタルを復活させるわけにはいかない、いまや静那はそう思うようになっていた。愛する息子を死なせるわけにはいかないのだ。そのためには……葛城には死んでもらわねばならない!

アシラト様、と静那は悪魔の名を呼んだ。葛城を血祭りに上げてくれと頼む。奥の部屋から、アシラトが姿を現す。アシラトは笑みを浮かべている。人間とは不思議なものよ、と悪魔は楽しげに言う。神に身も心も捧げたかと思えば、くだらぬ愛とやらに惑わされるのだから、と。人の心など、何とも思っていないらしい。由宇香を喰らった悪魔のひとりである。闘う以外に道はない。

アシラトは、アシラとも、「海の貴婦人」とも呼ばれる、カナアンの女神である。バールなど多くの神々の母とされ、シュメールのアヌにあたるエルという主神の妻たる大后でもある。生まれたばかりの神々は、彼女の乳を吸って育つという。旧約聖書では、アシェラの名で、バールの妻として登場する。バールと同じく豊穣の神であり、カナアン人は、アシラトに見立てた娼婦(神聖娼婦)と寝ることで、豊穣を祈願する儀式としたようである。

アシラトは、バールハダドと並ぶ難敵だ。稲妻を自由に操り、ジオンダインやマハジオンガを繰り出してくる。ディアラハンでダメージを全快し、女神の微笑みでこちらを魅了する。とくに女神の微笑みは剣呑で、強敵の前で同士討ちを始めればどういうことになるかは、火を見るより明らかだ。体力は極めて高く、素早いのでこちらの連続攻撃を許さない。電撃系の攻撃を吸収してしまい、雷迅剣で動きを封じることもできない。さらに、聖獣豊穣の山羊を従えている。これも侮りがたい。タルカジャで攻撃力を上げ、ダムドーラなどを操る。先に斃そうにも、いままで闘ってきたボス悪魔に匹敵する体力があるのでそれも難しい。

ご多分に漏れず魔法は通じにくいので補助魔法を絡めつつ剣で地道にダメージを与えていくしかないが、リカームドラが使えれば戦闘は楽になるだろう。リカームドラは、初期版ではバグにより、HPを128減らすだけで済んでしまう。修正版では、術者は死ぬことになるが、サマリカームを使える仲魔がいれば蘇生できる。再召喚するする分のマグネタイトを消費するが、ボス戦に限って使えばそれほどのロスではない。ただ、やりすぎるとゲームバランスを崩してしまうのも事実だ。これも禁じ手にしておく方がいいかもしれない。

アシラトを斃せば、アクアマリンを落とし、由宇香の腹部が手に入る。心臓をのぞく全パーツがこれでそろった。息絶えたアシラトの姿を見た静那の顔には、驚愕と苦悶の表情が。まさか斃してしまうとは思ってもみなかったのだ。茫然自失の体である。このとき、静名を殺してしまうかどうかを選ぶことができる。ここでは殺さないことにしよう。

かづさは、静かに語りだした。葛城に会って以後、かづさの夢の中に由宇香すなわちイシュタルの姿が現れだした。イシュタルが伝えたのは、聖王はかづさではなく、葛城だということだった。だが、かづさはその夢の内容を口にすることはできなかった。聖王でないかづさは、ただの少年でしかない。母子ともども、教団を追い出されることになるのは目に見えていた。それを恐れたのだ。しかし、夢は警告を発し続ける。もはや女神の意志にあらがうことはできないと悟った。ところが、母が葛城を殺そうしているという。ここに来たのは、それをやめさせるためだった。

アシラトという後ろ盾をなくした静那には、もはやなんの力も残されてはいない。思えばバール教団が金星教団に手出しをしなかったのも、金星教団の背後にアシラトがいたからなのだ。バール兵に葛城を襲わせることができたのも、両教団につながりがあったがゆえである。結局、金星教団もミレニアムと同じく、バエルにコントロールされた教団にすぎなかった。

かづさと静那という指導者を失ったイシュタルの槌、そして母なる金星は、もはやコントロールが効かなくなっている。かづさは警告する。いままでの考えを捨てられない人々は、葛城のことを、かづさからイシュタルを奪った敵と見なすであろうと。イシュタルの槌には近づかない方がいいという。そして、イシュタルの復活は葛城の手に委ねられた、とも。復活させるもさせないも葛城の自由であり、もはや金星教団に干渉する資格はないということらしい。かづさは、これからは純粋にイシュタルを信仰する教団を作り上げていきたい、と抱負を語る。今後の努力に期待しよう。

部屋を出て、巫女たちに話を聞こうとすると、震え上がってしまって話にならない。その目つきは、まるで悪魔でも見るようだ。強大なアシラトを斃してしまった葛城は、もはや人間ではないのかもしれない。それにしても、だ。この様子では、巫女全員が静那の計画を知っていたのだろう。見かけとは違って、食えない奴らである。

ところで、静那を殺そうとすると、展開が変わる。まず、葛城が銃口を向けようとすると、恐ろしさのあまり静那は気絶する。その静那を撃とう(!)とすると、巫女たちがやってきて悲鳴を上げる。巫女たちは、バール兵やイシュタルの槌の信者たちと戦闘になればただでは済まないと言って葛城を脅す。そのとき、静那は目を覚まし、よろよろと起きあがる。まだなお静那を殺すべく引き金を引くと、弾は静那をわずかにそれる。背後からかづさが組み付いてきたからだ。そしてかづさはイシュタルのヴィジョンの話をする。ここは同じだ。さて、それでもなおふたりまとめて殺そう、という背筋も凍るような選択をすると、銃声が響く。葛城の、ではない。背後からの銃弾が葛城の身体を貫いたのだ。振り向くとそこに、由宇香の母親、橘冬子がいた……。倒れる葛城。バール兵たちがやってきて、狂った女に撃たれるとは馬鹿な奴だ、と言われ場面が変わる。すわ、ゲームオーバーか、と一瞬あせるが、そうではなかった。建物の外に放り出されたのだ。葛城は瀕死。属性もCHAOSに傾くようだ。悲惨な展開である。

ちなみに、かづさの警告通り、イシュタルの槌には近づかない方がいい。信徒に話しかけると、仲間を呼ばれ、イシュタル信者ガーディアンと戦闘になる。当然楽勝だが、殺しまくっていると属性に影響するのだ……が、なぜかCHAOSからNEUTRALに変化する。これはおかしいのでは?

いよいよ、由宇香を復活させるときが来た。つづきは次回、最終章で。


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