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のちにロッキード社の副社長となる航空機設計者「天才」”ケリー”・ジョンソンは営業面でも「天才」だった。 1953年3月27日、アメリカ国防総省は「禿鷲」計画という偵察機の開発プロジェクトを立てた。この計画はベル社が受注してX−16という機体を制作する事になった。 ところが1954年の秋、ジョンソンはCIA長官のアレン・ダレスに会い、昼食の席でこう言った(とされる)。 「2200万ドル。それで20機とスペアがつくれます。契約していただければ8ヶ月で1番機を飛ばして見せましょう。」 結果、後に撃墜事件で有名になるU−2偵察機、通称”ドラゴン・レディ”の開発がスタートした。結局X−16は未採用に終わり、一方U−2は今でもどこかの空を飛んでいる。 さて、ジョンソンとの昼食の後のある日、ダレス長官はアイゼンハワー大統領に特殊な偵察機の開発をしていることを告げ、その場で承認を得た。ただし彼がそこで言った開発費用は3500万ドルだった。 |