第8章 地獄・天国篇


根の国の支配者

ミレニアム総本山を出たあとの展開。このあたりも情報が少なくて困るところだが、八咫鏡を持って護国寺へ向かうのが正解。八咫鏡と、東郷神社で手に入れた榊を結んで、ひもろぎを作る。それを西洋風の鳥居の下に置くと、鏡より発せられた光はあたりをまばゆく照らし、鳥居の下に亜空間へのゲートが出現した。

ちなみに、ひもろぎとは、臨時に神を招請するための神座のことをいう。古代より鏡は神霊の依り代よりしろとして、霊的な力を持つとされてきた。とくに八咫鏡は、アマテラス神が天岩戸でその姿を映し、ニニギノミコトに「私を視るようにこの鏡を視よ」と言って遣わした神霊の宿る宝鏡である。したがって、ここでは神霊を呼ぶというよりは、八咫鏡の霊力を解放するというイメージなのだろう。

ゲートの中へ入ると、そこはトンネルのような空間だった。精神世界のとき体験したのと同じ感覚が葛城を襲う。妙な圧迫感がある。周囲の壁が波打つ。少し歩くと、泪がパーティーから離れ、葛城に奥まで来るよう促す。突き当たりには少し大きめの部屋がひとつ。

部屋は、見慣れたシェルターのもの。かつての自室であろうか。泪が語り出す。葛城を愛しい狩人と呼ぶ。「私がまた完全にひとつだったころ」泪と葛城は出逢ったのだという。どうやら前世の話のようだ。前世の葛城は、若く雄々しく、命と引き換えに泪を、つまり泪の前世の存在を望んだのだ、と。

次第に泪の姿が由宇香とオーバーラップしていく。葛城は今、由宇香とともに過ごした夜の幻視ヴィジョンを見ている。 「私たち、もう少し違う時代に生まれていれば、幸せに過ごせたのにね」。ふたりの姿が交互に現れる。そして、その間隔はどんどん早まっていく。その光景に幻惑される。

「私を愛して……」。泪と由宇香が交互に囁く。突如として目の前が暗転した。頭の中が惑乱し、もはやどちらの声なのかも判然としない。イメージだけが脳裏に渦巻いている。笑い声が耳にこだまする……。

「私を見て!」という声で我に返った。いつのまにか葛城は、どこかの廃屋のようなところで横になっていた。背中には冷たいコンクリートの感触。目の前には泪の顔がある。こちらを見つめている。四つん這いになって、今にも葛城のうえに覆い被さろうとしている。豊かな胸を露わにした、しどけない姿。

ここから先は、由宇香のときと同じ、ラブシーン。詳細については自粛するので、各自で確かめてください。ただ、一言付け加えておくと、(由宇香のときとは違って)イニシアティブは泪の方にあるので、拒絶しても無駄。何と無理矢理……(笑)。なお、拒絶したり、途中でやめたりすると泪の不興を買うことになり、あとあとの展開に影響する。

ここで、このイベントに関連していると思われるエピソードを少し。カバラ文献によれば、アダムの最初の妻はイブ(エヴァ)ではなくリリスであり、性交の際のイニシアティブ(要するに体位)を巡る喧嘩が原因で別れてしまったという。さらに民間伝承では、その後リリスはサタンをはじめとする多くの悪魔と交わって子を産み、悪魔の女王になったとされる。彼女の娘たちがリリムである。禁欲的なユダヤ/キリスト教は、いわゆる正常位しか認めない。妻がイニシアティブをとるのは反倫理的な行為なのだ。

このエピソードを踏まえて、由宇香とのラブシーンと泪とのそれを比較してみると、面白いことに気づく。由宇香のときは正常位、泪とのときは騎乗位になっているのだ。これを、単にふたりの性格の違いだと片付けてしまうわけにはいかない。泪の行為がリリスを連想させるということはすなわち、泪の悪魔性が暗示されているということなのだ。

さらに、生き物のようにゆらめくトンネルのような空間を進んでいく行為は、おそらく母胎への回帰を意味している。実は、この空間を抜けると黄泉へとたどり着くのだが、記紀神話では、黄泉大神よもつおおかみとして黄泉に君臨するのは、「国生み」をしたイザナミなのである。そして、この地母神の二面性は、黄泉という空間もまた二面性をもっていることを表しているのだ。

すなわち、黄泉は死のみならず再生をも司る場だということである。したがって、いったん黄泉へと下って、再び戻ってくることは、再生ないしは転生を象徴するイニシエーションだということになる。もう少し深読みすれば、黄泉が地母神的なものを象徴し、黄泉へのトンネルが産道を象徴すればこそ、泪とのラブシーンがここで起こったのだとも考えられるのだが……。

さて、気がつくとそこはすでに黄泉の中。泪もそばにいる。今までのことは夢か幻のようにさえ思える。背後には泉があり、お金を払うと使わせてくれて、傷を癒すことができる。ひょっとして、「地獄の沙汰も金次第」というギャグ? ただし、CHAOS属性のときは無料。この事実は、ここがCHAOS属性を象徴する場所だということを示している。

黄泉は瘴気の漂うところだが、生者がダメージを受けるほどではない。そういえば黄泉比良坂でも大丈夫だった。神話でもイザナギは黄泉へ降りても平気だったし。キリスト教の地獄とはかなり違う。

それはさておき。先へ進んだところにある大広間のようなところで、ひとりの国津神が現れる。名は、ハツセオノミコト。彼はなにか勘違いしているらしく、葛城たちのことを悪魔の手先だと決めつけてくる。性懲りもなくまた現れたか、という風に。

ここでは、ハツセオノミコトと戦闘になる場合とならない場合がある。属性や選択肢の選び方と関係があるようなのだが、具体的にそれがどのような影響を与えるのかについてはよくわかっていない。戦闘にならない場合、さらにふたつのパターンがあって、八咫鏡を見せると無礼を詫びてくるパターンと、こちらから名乗ると葛城がバエル相手に孤軍奮闘していることを知っていて、納得してくれるパターンがあるようだ。

一方、戦闘になる場合は、問答無用で襲いかかってくるので、鬼神ハツセオノミコトを倒さなければならない。といっても、せいぜいマハザンマが飛んでくる程度なので楽勝である。このあと、やや捨て鉢になったハツセオノミコトが、とどめを刺せ、と言ってくる。とどめを刺す方を選んだ場合、大国主が現れて止められるパターンと、そのまま斃してしまうパターンがある。これも属性が影響しているようだ。

いずれにせよ、このとき大国主が姿を見せる。ハツセオノミコトを殺害していないときは、大国主は無礼を詫び、葛城たちの傷を癒してくれる。黄泉にはすでに悪魔が進入しており、国津神たちはみな過敏になっているとのこと。そして、こうなった原因を語り始める。

かつて相馬小次郎なる将門公の転生体が、地獄の総統オセを斃した。しかし、オセはコノハナサクヤ姫の霊気に触れたため、黄泉深くまで墜ちることがなかった。その際神剣クサナギノツルギを奪ったのだという。その後オセは大破壊(大国主は魔震災という言葉を使う)で無数の魂が送り込まれ、潤った黄泉で力を蓄えた。そして、神剣の霊力の前に国津神たちも手が出せないでいるのをいいことに、黄泉を乗っ取ろうと侵略を始めた。加えて、これから起こるであろうさらなる大破壊を契機に、地上への復活さえも目論んでいるらしい。

大国主は、葛城に神剣を取り戻してくれるよう頼む。その暁には、剣を譲ってくれるという。草薙剣、八咫鏡に、ヒルコが持つという八尺瓊匂玉やさかにのまがだまの三種の神器がそろえば、高天原への道が開けるとのこと。快く引き受けてあげよう。

ちなみに、ハツセオノミコトにとどめを刺して殺してしまった場合、大国主にその冷酷さを非難され、呪詛の言葉を受けることになる。属性がDARKに傾く。それでも、大国主の捨てぜりふを聞くと、オセが神剣を、ヒルコが匂玉をもち、三種の神器がそろわないと高天原へは行けないことがわかる。

ところでこのストーリー、コミック版の展開を受けてのものらしいのだが、筆者は寡聞にして知らない。相馬三四郎が小次郎の弟ということらしい。ちなみに、平将門の通称は相馬小二郎という。また、オセはコミック版でボスキャラとして登場したそうだ。

ここで、関連する情報をいくつか。まず、大国主。因幡の白ウサギや国譲りの話に登場する国津神のリーダーである。スサノオの子孫に当たる。スサノオの娘スセリヒメと結婚し、出雲の支配者となった。国譲りののちは根の国すなわち黄泉を治めた。出雲大社の主神である。

オオナムチの別名をもつ大地の神霊で、もともとは蛇神であるらしい。その和御魂にぎみたまはオオモノヌシという神名で大神おおみわ神社に祀られている。葦原色許男あしはらのしこおともいう。多くの別名があるのは、各地の土着神の集合体であるためだ、という説が有力だ。

なお、出雲大社はなぜ伊勢神宮より大きいのかということ、神殿の向き、特殊な柏手の打ち方などの謎については、井沢元彦氏の「逆説の日本史 1.古代黎明編」を参照のこと。

次に、ハツセオノミコト。残念ながら、いまだこの神の出自については不明である。大国主の子供かとも思うが、そうではないようだ。ちなみに、神話上の大国主はプレイボーイで子沢山。なんと181柱も子供がいたという。なかでもコトシロヌシ、タケミナカタなどは有名だが、記録に残っている大国主の子供の中に、ハツセオという名は見あたらない。

推理するためのヒントとしては、まず、黄泉にいること。次に、天津神であるということ。さらに、イベントに登場するくらいだから、そこそこ有名なはずなのだ。だが、それでも謎はちっとも解けない。そもそも、天津神が黄泉にいるということからして不思議である。いったい誰なのか。

筆者の旧説は、五瀬命いつせのみことではないか、というものだった。五瀬命は、記紀神話に神武天皇の兄として登場する。東征の際に流れ矢に当たり、その傷がもとで落命した。戦死という、神の子孫にはあまりない死に方がポイントである。ふつうでない死に方をした神は、イザナミのように黄泉に行っている可能性が高いというわけだ。

最近の有力説は、雄略天皇ではないかとする(生体エナジー協会内の『悪魔全書』参照)。中国南朝の歴史書『宋書』に登場する倭王武に比定される実在の人物だが、葛城山で天皇一行に化身したヒトコトヌシと遭遇したという伝説もある。本名は「オオハツセワカタケ(大泊瀬幼武)」であり、「ハツセオ」に近い。天皇なので当然天津神系である。さらに、暴政の限りを尽くしたとされることから、黄泉へ墜ちている可能性も考えられなくはない。ひょっとすると「葛城」という名前の連想ということもありえよう。というわけで、これが現在のところ一番ありそうである。

ただ、あえて異説を出すとすれば、崇峻天皇であろうか。蘇我馬子によって暗殺された悲運の天皇で、名はハツセベ(泊瀬部)であった。暗殺されたということは怨霊になったということであり、鬼神にふさわしいとも言える。

いずれにせよ、決め手に欠ける。ただ、少なくとも「ハツセオ」は誤記であったという点では研究者の間で見解の一致を見ている。

次に、オセについてだが、これは後述する。ところで、気になるのは大国主が「さらなる大破壊」があると言っていること。これが、カテドラルでの決戦の前に起こった、例の大洪水を意味するものであるかどうかは不明。

あと、草薙剣がなぜ黄泉にあるのかについても触れておこう。第7章では、大破壊前に神器は持ち出され、その後大破壊時もしくはその後の混乱の中でバラバラになってしまったのだろうと推理した。しかし、それでは草薙剣が黄泉にある説明がつかない。実は、その謎の鍵は源平合戦にあるのだ。

すなわち、壇ノ浦の戦いにおいて、二位尼(平清盛未亡人)は安徳天皇を抱き、京より持ち出した三種の神器もろとも海に沈んだのである。鏡と匂玉は引き上げられたが、神剣はついに見つからなかった。メガテン的な解釈でいえば、神剣は二位尼や安徳天皇とともに黄泉へ行った、もしくはあの世とこの世の中間にある異空間のどこかに引っかかったのである。オセが黄泉に墜ちる際に神剣を奪ったというのも、このように解釈すれば説明がつく。

ただ、神剣はいまだ現存するとする異説もある。遙か昔、第10代崇神天皇の代に剣と鏡が模造されて宮中に置かれたが、垂仁天皇の代に本物の鏡は伊勢神宮に納められ、ヤマトタケルが用いた草薙剣も今に至るまで熱田神宮で祀られているというのだ。この説によれば壇ノ浦に没したのは模造品、すなわち形代かたしろであるということになる。

だが、この説は歴史家の間では評判が悪い。資料を見る限り、後世の創作である疑いが強いという。神話が形成されていく過程で辻褄を合わせたんだろう、というわけだ。史実のレベルでは、「これが神器だ」と天皇家が認定したものが神器になるにすぎない。今上天皇の代にも三種の神器が存在していることがその証拠だ。

これがメガテン的な解釈だとどうなるか。こちらは簡単である。神霊というものは分属できるので、レプリカがいくらでもできる。壇ノ浦に沈んだのは間違いなく本物だろうが、熱田神宮にも神霊が宿った形代が存在しうる。大破壊前まで天皇家に伝わってきたものも同様に形代だ。しかし、これらにも神霊が宿っている以上、偽物とは言い切れないのである。

さて、いい加減に話を先へ進めよう。黄泉の攻略は、さして難しくない。出現する悪魔は、邪鬼牛鬼、幽鬼ノスフェラトウ、地霊ツチグモ、堕天使ベリスなど。周縁部のダークゾーンを移動するのがポイント。第二層へ降り、それらしき部屋へ向かうのだが、それほど支障はないはず。道を誤ると同じところをぐるぐる回らされるが。

余談だが、第一層にあるもうひとつの泉では、イベントが起きる場合がある。すなわち、泉に銘刀備前長船を放り込むと、妖刀村正と交換してくれるのだ(ただし一度だけ)。ただ、妖刀村正を放り込むと、銘刀肥後守と交換になる。妖刀村正は、高い攻撃力と命中率、および攻撃回数を誇る魔剣だが、その代わり呪いの力も強力で、しかも相性が呪殺なので対ボス戦では使えない。したがって、あまり意味はなかったりするのであった。

閑話休題。オセの部屋。奴は悠然と葛城を見下ろしている。もはや異形の魔物と化した高校生らしき男女が、その周りを囲んでいる。あるものは翼を生やし、あるものは百目を生じている。それは、まさに地獄にふさわしい光景だった。

オセは、珍しい客人にもてなしを受けていただこう、と言って、彼ら魔人たちを差し向けてきた。まず、悪魔生徒アキラと悪魔生徒ヒロコが、次に、悪魔生徒ヨシオと悪魔生徒ミキが襲ってくる。前者は、アキラのシバブーとヒロコのタルンダに注意。後者は、ミキのマカジャマに気をつけよう。その他にもそれぞれの性格に合わせた多彩な攻撃を繰り出してくるものの、しょせん葛城の敵ではない。

ついで、堕天使オセとの連戦になる。オセは、悪魔学ではソロモン王によって封印された72柱の魔神の一人で、豹総統の異名をもち、大きく優美な豹の姿をし、真紅の斑が入った緑の目をしているという。人を望む姿に変える力を持つ。性格は凶暴で、呪文によって従属させないと召喚師を喰い殺してしまう。ここでは、両刀の風塵剣でこちらを切り刻もうとする。攻撃力はかなり高いので注意。魔法剣の追加効果で動きを封じるいつもの手が有効だ。国津神たちのように、草薙剣の霊力のために手が出せない、ということはない。それは葛城が人の子だからか、それとも葛城の霊格は並の神々をも超えてしまったのだろうか?

オセはバエルに仕えていない独立勢力のようだ。悪魔生徒たちは、おそらく精神世界で相馬三四郎が言っていた、聖城学園の生徒たちであろう。彼が探していた「キョウコ」は、ここにはいなかったようだが……。

オセは斃れる。二度までも人の子に破れたのだ。このことは違う意味ももつ。以前オセを斃した相馬小次郎は将門公の転生体だった。すると、葛城もまた、将門公に匹敵するような強大な霊的存在の転生体だと考えられるわけだ。

草薙剣を入手。強力な魔法剣に匹敵する威力を持ち、戦闘中に使用すれば、マハザンマの効果がある。草を薙ぎ倒すイメージだろう。追加効果はないが、属性は氷結なので、多くの系統の悪魔に有効である。神話では、ヤマトタケルが使用している。平野の中央の沼に荒ぶる神がいると聞いたヤマトタケルが、中に踏み込んでいくと、周囲から火を放たれた。その際、神剣はひとりでに鞘ばしり、周囲の草を薙ぎ払ったと伝えられている。もともと「くさなぎ」には奇妙な蛇という意味があるらしく、水と関係が深いようだ。

上の層へ戻り、大国主の部屋へ。長い直線通路の真ん中にターンテーブルがあるのが目印。その先が目的の部屋だ。大国主は喜び、約束通り剣を葛城にくれる。そして、剣は霊的な力を吸収することで、さらに強化されると教えてくれる。その最強のものは、火之迦具土剣ひのかぐつちのつるぎだ。葛城たちを地上へと送り返してくれる。

ちなみに、オセに会った際DARK属性だと展開が変わる。交渉を持ちかけられるのだ。その内容は、神剣を譲るかわりにオセを地上に連れて行くというもの。悪い話ではないので、承諾してもいい。そのあと、大国主の部屋へ行くと、緊迫した雰囲気に。当然と言えば当然だ。黄泉の支配権を争う両巨頭が対面したわけだから。

ここで、大国主と戦うかどうかを選択できる。戦わなくてもいい。オセは「黄泉を我がものにする」などと息巻いているものの、葛城に戦う気がないことを知ると、悔しそうにしながらもおとなしくついてくる。戦って斃してしまった場合、大国主から、「現世にとんでもない災いが降りかかるぞ」と警告される。いずれにせよ、葛城たちはなぜか自力で現世へ戻れてしまう。

黄泉を出たところで、オセは晴れて自由の身になったことを喜び、池袋方面に飛び去ってしまう。ただ、バエルを斃しにいく際には協力してくれるそうだ。で、シャンシャンシティに行ってみると、もとアバドンのいた部屋にちゃっかり居座っている。当分の間は、「まだ時が満ちていない」と言われ追い返されることになるだろう。

有明秘密都市

ミュータントたちが住むという有明。次の目標はここだ。銀座から高速道路を通って南下。芝浦埠頭駅付近へ。それまでは有明からの道が途中でとぎれていたのだが、そこに新しいレインボーブリッジが架かっているではないか。

橋の手前まで来ると、突然頭の中に声が響いてきた。噂に聞くヒルコが葛城に話しかけているのだ。有明へとつながる橋を架けておいたので、ぜひ一度参られよ、と招待してくれる。ただ、「側近がそう簡単に会わせぬかもしれぬが」などと奇妙なことも言う。よくわからないが、勾玉の持ち主が向こうから声をかけてくれたのだ。喜んで招かれよう。

長い橋を渡ると、廃墟となった臨海コロシアムが静かに佇んでいる。そこには誰もいない。しかし、中に入ると地下へと続く階段があり、その先には結界で防護された地下都市が存在しているのだ。ここにはミュータントだけでなく、国津神たちの一部も一緒に生活している。その指導者がヒルコだというのだから、ヒルコは神にも等しき存在であるということか。

まず、端末にアクセスしてセーブしたら、店をまわろう。その品揃えは圧巻である。武器屋では、エクスカリバーMkIVやデビルバッシャー、神弓といった強力な銃や弓、豊富な弾丸類がそろっている。極めつけはドゥルジである。250,000マッカもする超高級品の独銛杵で、特別の法力が込められているため、その威力は火龍剣をも凌ぐ。防具屋にも八雲の鎧やアーマノイドΣといった高級品が並ぶ。黄金の鱗はぜひニュートンに装備させてやろう。道具屋にはソーマが置いてある。

話を聞いて回る。ミュータントたちは、大破壊の申し子であり、東京の真の影を担う存在だ。放射能の影響で異形の存在として生まれてきた彼らは、仲間たちはおろか親兄弟からも疎まれ、虐げられてきたのである。彼らは安住の地を求め、あるものは科学に手を染めて神田地下街へ移り住み、あるものはヒルコを頼ってここ臨海コロシアムにやってきた。

ここで彼らは日々肉体と精神を研鑽し、懸命にこの地を守っている。その指導者ヒルコは、やはりミュータントである。大変優れた頭脳をもち、常に真実を捉え、判断は的確であるという。また、心の目で、住人たちの行動はおろか、外界の出来事すらも見通すことができるそうだ。

ただ、ヒルコは普段多くを語らず、人前に姿を現すこともない。そして、この地に外部の人間を呼び入れることも滅多にないという。裏を返せば、葛城はヒルコから特別の存在だと認められたわけだ。そうすると、すぐにでも会ってくれそうなものだが、部屋の前で酒呑童子が頑張っていて、通してくれないのである。

まずは闘技場へ行け、という情報が得られる。戦いに勝ち抜いたものは、毎回ヒルコが直々に褒めてくれるんだそうな。そういうわけで闘技場へ。途中でアイテムボックスからアイテムを回収しておこう。

聖獣白蛇、妖鬼酒呑童子を倒すと、鬼神タケミナカタと勝負。有明一の強者、という触れ込みであるが、こっちは複数で挑みかかるのだから、勝つのは目に見えている。無論一対一でも負けるはずはないが。

タケミナカタを倒すと、葛城たちは勇者と認められ、ヒルコの部屋へ。さすがの葛城も、ヒルコの姿には面食らった。培養槽の中に浮かぶ胎児、というのが一番近い表現だろうか。それは未だ人の形をなしていないようだった。培養槽は、生命維持装置なのだろう。装置は、それ自身宙に浮いていた。一見無力そうなその生命体が、いかなる力を宿しているのか、ということをまざまざと見せつけていた。

不思議なことに、ヒルコの声ははっきりと聞こえてくる。葛城が良い顔をしている、と誉めてくれたあと、ここに来た理由を尋ねられる。あんたが呼んだんだろ、とツッコミたいところだが、ここは素直に勾玉がほしいと言おう。

ヒルコいわく、人間に破れたことで国津神たちは発奮し、全体の志気が高まるであろうが、その功績は葛城たちが思っているよりも大きなものである。ヒルコにとってもはや勾玉は不要であり、勾玉があれば三種の神器がそろうという者に対して躊躇する理由はなにもない。そもそも、葛城を有明に招き入れたのも、神器をもつ者をその目で確かめたかったからだという。つまり、葛城たちは試されていたわけだ。ヒルコは八尺瓊匂玉を譲ってくれる。何個もの匂玉を連ねた、ネックレスのような形状の品だ。これで、三種の神器がすべて手元に集まった。

そのとき、ゾクリとする気配が葛城の背後を襲った。その後を追うように、嫌らしい声が飛び込んでくる。「国津神の方々の衰退ぶりは見る者の心を打ちます。お気の毒なことです」。それは、招かれざる客――デカラビアという悪魔だった。

有明の、しかも中枢に当たるヒルコの部屋には、強固な結界が張られているはずだったが、悪魔はそれを造作もなく乗り越えてきたのだ。「私は法陣を司る者でしてね。どのような結界であろうと、私には無効なのです」。デカラビアは口元をゆがめた。

「これは一種のテロだと考えてください」と悪魔は言う。ミュータントや国津神の存在は、バエル率いる悪魔たちにとってかなり目障りであるらしいのだ。滅びの時を少々早めさせてもらう、と口にするが早いか、デカラビアはヒルコめがけて巨大な爆弾を放り投げた。指導者であるヒルコを抹殺するつもりなのだ。

突然のことに、誰もが身動きをとれずにいた。彼らを尻目に、デカラビアは素早く呪文を唱え、五芳星の光の中に消えようとしている。さて、葛城はどうするか。ひとつには、自らを犠牲にして爆弾に飛びつくという方法がある。もちろん、それでヒルコが助かるという保証はない。もうひとつは、爆弾の方はあきらめて、光の中に飛び込み、デカラビアを追うという選択肢だ。ヒルコは、確実に死ぬだろう。しかし、デカラビアを捕まえられれば、仇は討てるかもしれない。

ここでは、爆弾に飛びつくことにしよう。目もくらむ閃光と耳をつんざく爆音。葛城の意識は、一瞬でかき消えた。だが、次の瞬間には、葛城たちは薄暗い空間の中にいた。目の前には、見まごう事なきヒルコの姿が。しかし、それはまばゆい光とともに、一瞬にして光輝く太陽の子供の姿に変貌した。

ヒルコは再び葛城の心に呼びかけてきた。ここは黄泉だが、案ずることはない。古き衣を打ち捨て、新しき命を得るだけのことだ。しかし、汝らはまだ勤めが終わっていない。今ひとたび古き衣を纏わねばならない――葛城たちは再び意識を失った。

ここで少しヒルコについて説明しておこう。ヒルコは、水蛭子または蛭児と書き、神話上はイザナギとイザナミの間に生まれた最初の子供である。成育が悪く、3歳になっても足が立たなかった(蛭のように骨がなかった)ので、葦船に乗せて海に流された。今から見れば残酷な話であるが、昔は「間引き」と称して幼児を殺す習慣があったくらいだから、それを思えば驚くには当たらないのかもしれない。

この話には続きがあり、「えべっさん」で知られる西宮神社に伝わる伝説では、海を渡って摂津国に流れ着いたヒルコは土地の人に育てられ、のちに戎大神えびすのおおかみとして祀られたという。すなわち七福神の恵比寿さまである。したがって、ヒルコは出自からいえば天津神たちの兄に当たる存在だが、土着の神すなわち国津神とも言えるわけだ。

偽典に登場するヒルコも、おそらく国津神の血をひく存在であろう。ミュータントであると同時に国津神であるという出自があればこそ、両者の長たりえたのだ。なお、転生後のヒルコと、東京ミレニアムの地下世界でミュータントの長老となっていたヒルコが同一人物であるかは、これまた不明である。

ところで、「光輝く太陽の子供」という表現に注意してほしい。ヒルコは、「日子ひるこ」に通じる。ダジャレではない。アマテラスの別名は、天照大日霎尊あまてらすおおひるめむちのみことといい、「ヒルメ」なのである。つまり、ヒルコと対になっている。ひょっとしたら、ヒルコはアマテラスに取って代わりうる存在だったのかもしれない。ヒルコの秘められた力とは、太陽神としての強大なパワーなのである。

再び地上。そこは、レインボーブリッジの前だった。橋はなくなっている。なぜなら、あの橋はヒルコの精神力によって架けられていたものだったからだ。HPが1しかないので、まずは傷を癒すべき。ステータスを見ると、少し属性がLAWよりに傾いているはずだ。

そこへ、瞬間移動でミュータントの女性が現れた。女性は、葛城たちの無事を喜ぶが、ヒルコは亡くなったという。そう言ったきり女性は俯いてしまった。そこで、黄泉での体験を聞かせてやると、曇っていた顔がぱっと明るくなった。ヒルコが復活するかもしれない! このニュースを報せるべく、女性は葛城に礼を言い、瞬間移動で帰っていった。黄泉の話をしないときは、デカラビアがまだどこかに潜んでいるので注意するように言い、やはり去っていく。

また脱線して申し訳ないが、八尺瓊匂玉についても触れないわけにはいかないので、もう少しおつきあい願いたい。八尺瓊匂玉は、「御蔵板挙神みくらたなのかみ」とも呼ばれる。これは神聖な稲種が収納される蔵に祀られる神のことであり、稲種を守り翌年の豊穣をもたらす機能を有するのである。

三種の神器の役割分担でいえば、剣が戦闘を、鏡が祭祀を、匂玉が生産をそれぞれ司っている。では、八尺瓊匂玉が豊穣を象徴するのはなぜか。それは、瓊がタマとも読み、魂につながるからである。タマを井戸の水につけ、水の中で揺動させて活力を与えるという動作が、生命ある子を産むことと結びつくのだ。

ゲーム中でも、八尺瓊匂玉は生命力の象徴として捉えられているようだ。装備していると歩くたびごとに体力が回復し、最高で上限値の倍まで上昇する。ちなみに、この「余った」HPは、病院などで「売る」ことができるのだ。

高天原へ

三種の神器はそろった。これで高天原への道が開かれるという。そういえば、東郷神社の老人の話では、証を持つものは東郷神社の隠し通路を通ることが許されるということであった。それは東郷神社の地下にあり、明治神宮につながっているのだ。そこで、まずは東郷神社へ。例の老人がいて、葛城たちが証となる三種の神器を持っていることを確認すると、ふっと姿が見えなくなる。老人の正体はわからずじまいだったが、たぶん守護霊であろう。元はここの神主だったのかもしれない。

本殿に隠し階段でもあるのか、と思ったが、そうではない。本殿からさらに進んだ奥の森の一角で、八咫鏡が反応し、輝き始める。それが収まると、道の真ん中に黒い穴がぽっかりと開いた。今回のゲートは亜空間への通路ではなくて、地下につながるシュートのようなものだ。

噂の地下通路は、洞窟のようなところだ。岩を切り開いただけ、といった感じである。それでも、直線ルートが多用されているところから、計画的に掘削されたことが窺える。ちなみに、この洞窟全体が一種の霊的力場を形成している。そのため、三種の神器をそろえずにこの空間に足を踏み入れた場合、一歩ごとにとんでもないダメージを受けることになる。

通路を進んでいくと、注連縄しめなわが張られた場所に突き当たる。それは強大な霊力を秘めており、結界がいわば壁のようになっていてそれ以上先へ進むことができない。そればかりか、剣で切ろうとしても弾き返されてしまう。魔力が込められた武器を用いても結果は同じ。見事なくらい完璧な結界だ。

この結界を破れる武器はただひとつ。草薙剣だけである。剣を振り下ろすと、注連縄はあっけないくらいに、音も立てずに真っ二つになった。同時に結界も消滅する。

さらに奥へ進み、最深部へ。そこは広いドーム状の空間で、突き当たりの場所には巨大な岩が置かれており、岩にはまた注連縄が張られている。周りには死者たちの霊が漂っていて、みんな困り果てた様子。彼らは生前の行いが良かったために、高天原に昇ることを許された者たちなのだが、岩が邪魔で進めないでいるのだ。

この岩を何とかしないと、葛城たちも高天原へ行くことができない。だが、注連縄が再び結界として作用しており、これがある限り岩はビクともしない。そこで、再び草薙剣を振るうことになる。注連縄を切ったら、次は岩をどかす番だ。さすがに人の力では無理。仲魔を召喚する。体力が25以上あることが条件だが、この段階でそういう仲魔がいない、ということはまずないはずだ。仲魔が岩を動かすと、隙間から光が漏れてきた。道が再び通れるようになる。死者たちの霊は喜び勇んで光のトンネルの中へ消えていった……。

このイベントが天岩戸あめのいわとのエピソードをモチーフにしていることは言うまでもない。岩に張ってあった注連縄も、やはりモチーフがある。アマテラスが岩戸の外に出てきたときのこと。アメノフトダマ神は、洞窟の入口に注連縄を張って、二度とアマテラスが岩戸に籠もれないようにしたのである。

それに加えて、千引岩ちびきのいわのエピソードも影響しているようだ。黄泉大神イザナミがイザナギを追って黄泉比良坂よもつひらさかまでやってきたとき、イザナギは千引岩で道をふさいだ。このことから、千引岩は道返之大神ちがえしのおおかみと名付けられた。千引岩とは、千人もかかって引くほどの大きな岩石という意味で、古代において岩石は悪霊邪気の侵入を防ぐものと信じられていたことが背景にある。

ところで、この巨岩そして注連縄は、誰の手によるものなのだろうか。あとでわかることだが、天津神たちが自分で道をふさいだわけではない。つまり、外部の者の仕業ということになる。その者は上に挙げたエピソードを踏まえたうえで、悪意あるパロディを試みたものと思われる。それはいったい誰か?

その前に、まず、通路に渡してあった注連縄は元からあったものだということを確認しておかなければならない。そうでなければ、死者の霊も岩の前までやってくることはできなかったはずだからだ。あれはもともと、邪悪な霊の侵入を防ぐために用意されていたものだろう。人間が通れないのは副次的な効果にすぎない。そもそも並の人間はこの空間に侵入したり、侵入できても進んだりすることはできないのだから。

それに対して、岩に張られた注連縄は明らかにもっと強力なもので、あらゆる存在の通行を拒んでいる。通路の注連縄に用いられた呪法を応用したのだろう。だが、ここで疑問が湧く。これを仕掛けた「誰か」は、最初の注連縄をどうやって乗り越えたのだろうか。生者も通れない結界である以上、悪魔のみならずバール教信者らも乗り越えられないはずだ。また、注連縄の呪法を応用した手並みも鮮やかである。上位悪魔であってもやすやすとまねできるものではあるまい。

ここで思い当たるのが、『法陣を司る』悪魔デカラビアである。結界に対して極めて深い知識を有するこの悪魔なら、最初の注連縄を越え、岩を置いて通路をふさぎ、最後にご丁寧にも注連縄を用いた結界で封印することもできたはずだ。また、このように考えることで、明治神宮の森に悪魔がうろついていたことの説明もつく。奴らは人間が近づけないよう見張る役目を負った、護衛の悪魔だったというわけだ。

もうひとつ穿った考えを挙げると、天使たちの仕業というパターンだ。どの天使もみんなファニエルのような高潔な存在とは限らない。カマエルをはじめとする、死と破壊を司る天使たちもいる。のちの東京ミレニアムでも、エグゼクターやターミネイターといった、「影」のメシア教徒がいた。天使の裏部隊が実行犯である可能性も否定できない。その目的は、きたるべき千年王国にとって邪魔になる、ローカルな神々を封印してしまうことにあっただろう。

この場合、そもそも注連縄の結界が作動しなかった可能性がある。注連縄の呪法を応用することも、それほど難しくなかっただろう。なぜなら、鈴木大司教いわく天津神族は「ヘブライ神族とも血脈がある」ので、いわば手の内は読めていると考えられるからだ。

そして、高天原が封印された結果、本来は神聖な場所であるはずの明治神宮の森は力を失い、悪魔が棲みついたと推理できる。ただ、一連の考察が正しいとしても、その天使たちに命令を下したのが唯一神だったかどうかまではわからない。一部の天使の暴走かも。

話がかなり横道にそれてしまった。先へ進めよう。高天原は、床、壁、天井に至るまで光り輝く素材で作られている。ひょっとしたら霊的な光そのものでできているのかもしれない。邪悪な悪魔などいるはずもなく、鬼神タヂカラオ、鬼神タケミカヅチ、霊鳥八咫烏という天津神のみが出現する。なるべくなら戦いを避けて仲魔にしたいところだが、葛城の属性がLIGHTでないと無理なようだ。鬼神や霊鳥は合体の素材として貴重なのだが。

高天原の内部は複雑な構造になっており、ワープゾーンの連続があるのでやっかいだ。だが、くまなく探索する意味はある。どこかに最強の弓である天津弓が眠っているのだ。天津弓の威力・命中率は抜群で、ワンランク下の神弓を遙かに凌ぐ。ただし、使いこなすには人間離れした器用さが要求される。

加えて、泉では交換イベントも起こる。青い泉に銘刀備前長船を投げ入れると銘刀正宗と、妖精の出る泉に妖刀村正を投げ入れると妖刀竹光と、それぞれ交換してもらえる。ただ、青い泉に銘刀正宗を投げ入れると、銘刀肥後守に戻ってしまうところは黄泉と同じ。銘刀正宗は、妖刀村正と違って呪われることもなく、なかなか使いでのある剣だ。交換しておいて損はない。しかし、この泉にほかの武器を投げ入れるのは禁物。「金塊?」というがらくたアイテムに替えられてしまうからである。

属性がLAWの場合、泉の番人はお金を要求せず、自由に使わせてくれる。また、ダメージゾーンでも受けるダメージがかなり緩和されるようだ。黄泉がCHAOS属性を象徴する場所だったのに対し、高天原はLAW属性を象徴する場所なのだ。

高天原の主、アマテラスの座する部屋の周りは、ダメージゾーンに囲まれているので注意しよう。アマテラスに会うと、まず傷を癒してくれる。ついで、岩戸を開けてくれたことに感謝の言葉を述べる。あの岩戸は中からは開けられないようになっていたのだ。もしあのままの状態が続けば、現世との絆を断たれたまま、死者の魂が昇天できないばかりか、高天原が消滅した可能性すらあったという。神々といえども生体マグネタイトを補給する術、つまり人間界とのつながりを失えば無力化されてしまうというのが、女神転生シリーズの基本的な発想だ。

アマテラスはお礼に『トコトノカジリ』という魔法を授けてくれる。漢字で書くと十言神咒。「アマテラスオホミカミ」の十文字の言葉が鍵となり、太陽神の霊力で悪魔たちを浄化する強力な魔法だ。唯一神の力を発現する『エリコ』の魔法(同名の街の城壁を粉砕したというエピソードに基づく)を凌ぐ威力をもつ。

ここで、アマテラスから頼み事を受ける。アマテラスは、バエルの横暴に憤慨し、ヘブライの天使たちの勢力が拡大していることに危惧を抱く一方、日本の神々の衰退を嘆いている。このまま天津神と国津神が対立を続ければ、いつかヘブライの神々に蹂躙されてしまうだろう。そこで、日の本の国を守るため国津神と和解したいので、葛城にそのための使者になってほしいという。

神界と現世との絆を取り戻してくれた葛城が適任だというのだが、アマテラスにとって嬉しい誤算であることに、葛城は国津神にも顔が利くのだ。あえて断る理由もないので引き受けると、鬼神ヤマトタケルが同行することに。高天原をあとにする。なお、このイベントをクリアすると、以後高天原へは明治神宮から行けるようになる。森にいた悪魔たちは失せている。

神々の和解

有明への道は失われたはずであったが、来てみるとレインボーブリッジは復活している。橋の付近でまた声がする。アマテラス神の使者である葛城たち一行を歓迎するとのこと。国津神たちが橋を架けてくれたのである。再び臨海コロシアムへ。

地下都市は、お世辞にも明るい雰囲気とはいえない。指導者を失ったのだから無理もないが。ヒルコ様が亡くなったなんて信じられない、と語る者もいる。将来への不安は募るばかり。今はタケミナカタがヒルコの代わりをつとめているようだ。彼は、元はヒルコのものであった部屋にいる。

タケミナカタにヤマトタケルが事情を説明し、同盟をもちかける。だが、色よい返事は返ってこない。にわかには信じられない、とタケミナカタが言うと、アマテラス様のおっしゃることを疑う気か、とヤマトタケルが怒り出す。だが、天津神と国津神の争いの歴史を考えれば、タケミナカタが逡巡するのも無理はない。しかも、今や国津神とミュータントたちの命運は、タケミナカタの双肩にかかっているのである。慎重に考えたい、とタケミナカタは言う。

だが、ヒルコという指導者を失い、形勢の悪化は隠しようもない。ヤマトタケルの言葉から天津神たちの真意を見極めたタケミナカタは決断し、同盟を受け入れる。外来の悪魔たちに対抗する方法は、これしかないというわけだ。ここに、争いとそして征服・被征服の歴史は終わりを告げ、神々が手を取り合う時代が始まった。ヒルコ様が生きておられても同じようになさっただろう、とタケミナカタは言った。

役目を終え、ヤマトタケルは報告のために高天原へ帰還する。チョイ役の感が否めないが、これ以後合体で作れるようになる。タケミナカタは、かえってさっぱりした様子。結果はわからないが、やれる限りのことをやるだけだ、と語る。ミュータントたちは、期待と不安がない交ぜになった感想を漏らす。これからは有明にも天津神たちが降臨し、交流を深めていくことになるはずだ。新しい歴史の幕開けである。お主らに負けてはおれぬ、と言ってタケミナカタは哄笑し、葛城の背を叩いた。

今回はこの辺で。そろそろ佳境に突入する。


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