第2章 這い寄る絶望


蠢動

次に進む前に、メールを自分で解凍した場合の展開について触れておこう。このパターンでは、英美(もしくは早坂)の身に起こったことを自分で体験することができ、悪魔の策略の全貌が明らかになる。

メールに添付されていたのは、MURMUR.BINというファイルだった。1.5ギガバイトもある巨大なものだ。これが「悪魔撃退プログラム」であるらしい。データを解凍する。だが、画面に映し出された膨大なデータを見た瞬間、葛城の体に言いようのない悪寒が走り、意識を失ってしまった。

次の場面では、朦朧とする意識の中、御茶ノ水シェルターにメールを送りつけていた。自分の意思を離れて、身体だけが勝手にキーボードを打ち続けている。今度は、AIM.BIN(1.2ギガバイト)というファイルが添付されている。ふたたび昏睡状態に。

頬に冷たい感触を感じて目を開けると、そこは床の上だった。内蔵のすべてが熱く、重苦しく、嘔吐感も酷い。すぐに意識が遠のきそうになる。それでも、なんとか起きあがってみると、端末の画面が煌々と灯っているのが見えた。浮かび上がる文字を読むと、何か得体の知れないものを御茶ノ水シェルターに送ったらしいことがわかる。あれは夢ではなかったのか……。だが、記憶を辿ろうとすると、耐え難い頭痛が襲ってくる。ベッドに倒れ込む。何かを考える気力は失せていた。とにかく安らかな眠りが欲しい。

深夜の霊安室。ふと気づくと、葛城はそこにいた(MAGが0になっている)。あたりに人影はなく、しんと静まりかえっている。両手の指先に激痛を感じる。見れば、両手には滴った形で凝固した血の痕が幾筋もついていた。さらに指先は、爪が折れて根元まで裂け、酷い状態になっている。視線を外して死体安置BOXの連なる壁に目をやったとき、葛城は愕然とした。そこには、血の筋が指の形で無数についていた。葛城は夢遊病者のようにここにやってきて、素手で開けられるはずもない電子制御された扉を、掻きむしっていたのである。葛城は、心の底から恐怖を感じ、痛む両手を握りしめながら足早に霊安室をあとにした(このときMAGがいくらか回復している)。

異常なまでの虚脱感を感じる。ベッドの中で身じろぎひとつできない。瞬きもせず虚空を見つめる葛城。急激なめまいによって、天井が歪んでいく。目を閉じる瞬間、睡魔に深淵の底まで連れ去られる感覚に包まれた……。

遠くのほうで、電話の音が響き渡るのが聞こえる。次いで、早坂の怒号。葛城を呼んでいる。応えようとするが、全身が石になったかのように重く、声を発することすらままならない。早坂は、最初葛城を叱りつけるようにしゃべっていたが、最後は懇願調に変わってきた。だが、葛城にはどうすることもできない。また意識が遠のく。西野からも、英美からも同様に通信が入るが、とにかく身体がいうことをきいてくれず、瞼を開け、眼球を動かすことさえおっくうに感じられる。ふたたび電話の音が鳴り響いた。声はない。しばらく鳴り続けたあと突然やみ、室内に静寂が訪れた。

誰かが、葛城を揺さぶって起こそうとしている。由宇香の心配そうな声。最後の電話をかけてきたのは、彼女だったのだろうか。目を開く。自分の手を葛城の手に重ねて引き寄せようとした由宇香の口から、悲鳴が漏れた。葛城の両手には血が乾いてこびりつき、周囲のシーツにはどす黒い血の痕が染みこんでいたのだ。由宇香は、医療キットを取りに部屋を出ていった。

葛城は、猛烈な空腹感を覚えた。起きあがると、自然と身体が動き出す。B6Fの食堂でDB専用食10個を注文し、食堂を出たところで早坂と英美に会う。だが、今の葛城にはふたりの言動すべてが不快で偽善めいて感じられ、無性に腹が立ってきた。「善人ぶるな!」。そう叫ぶや思いきりふたりを突き飛ばし、自室に戻る。

濁った瞳に痩せこけた頬。床に座りこんで大量の食べ物を貪り喰らうその姿に、かつての葛城の面影はなかった。だが、そんな葛城を見ても、由宇香の心は揺るがない。目に涙を溜めながらも、黙々と丁寧に傷の手当てをしていく。ところが、葛城の脳裏で何かが弾けたかとおもうと、狂おしいまでの劣情と血への欲求が込み上げてきた。葛城の目に邪悪な光が宿る。由宇香もそのケダモノのような視線に気づき、「あなたは葛城くんじゃない!」と言い残し、怯えて去っていった。ふたたび睡魔に襲われる。

翌日。久々に体調が回復している。感情も平静になっている。ベッドの中でこれまでのことを振り返り、頭の中を整理していくと、あの奇妙な送信文のことを思い出した。急いで端末に向かう。パスワードを入力。「ZOWY-THE-KITTY(子猫のゾウイ)」。それは葛城以外知らないはずのもの。幼いころ両親に買ってもらった小さなロボット猫につけた名前なのだ(第8章2節参照)。

問題の夜の記録を探すと、御茶ノ水シェルターに宛て、悪魔の名前とおぼしきファイルが送信されていることがわかる。一方、原宿から送られてきたはずのファイルは見あたらない。そのとき、葛城は以前山瀬から聞いたDDMのことを思い出した。絶望的な予測が脳裏に浮かぶ。自分は悪魔に憑依され、元凶となったDDMを自らの手で御茶ノ水シェルターに送りつけたのだ。

背後で扉が開く音がした。由宇香と早坂が部屋に入ってくる。由宇香の目は泣き腫らして赤くなっている。早坂が、美莉の変死を告げる。由宇香は肩を振るわせ嗚咽し始めるが、下を向いたとき、葛城の靴にこびりついた土に気づいて小さく悲鳴を上げた。美莉はファームの樹木エリアで殺されたという。シェルター内で土が付着する場所といえば、ファームしかない。

「おまえじゃないよな?」という早坂の詰問に対し、葛城は乾いた声で力無く、わからないと答えるしかなかった。葛城の体の中で何かが蠢くゾッとするような感触が走る。まるで口が勝手に動くかのように、頭の中で整理したもっとも信じたくはない考えを、ふたりに語り始めた。絶望的な思いで。自分の人生が音を立てて崩れていくのを感じながら。真実に触れる言葉を発するたび、葛城の体内を耐え難い苦痛とおぞましい感触とが襲うのだった。

早坂は西野と相談するため、部屋を出ていった。あらためて連絡するから、信じて待っていてくれと言い残して。葛城の頭の中を、さまざまな思いが駆け抜けていく。由宇香が、声をかけてきた。そのまなざしは、深い哀しみに縁取られながらも、あくまで愛に満ちた優しいものだった。すべてが夢であればいいと願いたくなるような最悪の状況にあって、ふたりはお互いの愛を知ってしまった。あなたを憎むことがどうしてもできない、と由宇香は言う。見つめあうふたり。まるで時が止まったかのようだ。

そこに早坂から通信が入る。明日、詰所で隊長も交えて話し合うことになったので、ひとりで来るようにとのこと。通信が切れると、由宇香は葛城の胸にしがみついてきた。明日の朝までいっしょにいさせてほしい、いまここを離れたら、なんだか一生会えない気がするから、といって。ここでラブシーン。

次の日、由宇香を部屋に残して詰所へ赴く。目の前には、見慣れた仲間たちの姿がある。みな重武装して、緊張した面もちでいる。扉の電子ロックが閉められるかすかな音が背後で聞こえた。葛城は観念していた。ここで殺されるのが運命なのだ。静かに目を閉じる。

西野たちの言葉が鼓膜をふるわせるたびに、葛城の体内で蠢く生物の気配が感じられる。その気配は、心臓の鼓動が激しくなるにつれて、よりたしかなものになっていく。たとえようもなくおぞましい感触が、葛城の体を駆けめぐる。そして、全身が押し潰されるかのような耐え難い苦痛に襲われ始めた。その苦痛が臨界点を越えたとき、葛城は意識を失い、その場に崩れ落ちた……。

――読んでいて恥ずかしくなってくるような展開だ。どういうわけだかやたら芝居がかっている。たぶんシナリオライターの人がノリノリで書いたんだろう。そこで、本書でもそれに便乗することにした。ゲーム中に出てくる表現を独自に脚色しつつ書いてみたのだが、どんなものだろうか。なお、分岐した展開はここで収束し、以後は同じになる。

コラム:悪魔が操る言葉

詰所でムールムールは葛城たちに話しかけてくる。西野の問いかけを受けて答えてもいる。これは、アームターミナルを通じた会話なのだろうか。それとも、憑依に関係なく人間の言葉をマスターしているのか。

さまざまな証拠から、少なくともボス悪魔は人間の言葉を話せることがわかる。たとえば、代々木労働キャンプのバールゼフォン。バール兵に命令するのもそうだが、奴隷である人間に会うときは言葉を使わなければならない。しかも日本語を。新宿労働キャンプのダンタリオンも同様。アシラトも角生静那と話していた。

すると、次の問題はなぜ彼らは日本語を話せるのかということだ。理由はいくつか考えられる。ひとつは、知性が高いので各国語を修得しているから。ありそうなことではあるが、効率は悪そうだ。アカシック・レコード(全宇宙の情報が収められたアーカイブ)にリアルタイムでアクセスしているから、というのはどうだろう。これなら言葉を自分で記憶しておかなくてすむ。しかし、上級悪魔はおしなべて万能の知識をもつことにもなってしまう。もちろん、レベルによってアクセス制限があると考えてもいいのだが。

結局、ある種の魔法を使っているから、というあたりが無難な理由だろう。それぞれの言語専用の魔法があるというわけ。ご都合主義的にも思えるが、新約聖書の『使徒言行録』にはこんな記述もある。

突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した。

この聖霊の力を一種の白魔術と考えれば、黒魔術でも同じことは可能だろう。神のみわざを不遜にもまねるというのが黒魔術の原型だからだ。

平和の終わり

緊急事態であった。原宿を壊滅させた悪魔がシェルター内に逃走したのだ。西野は素早く決断した。まずは事態を管理部に報告。各エリアの電磁場シールドを発動させ、敵の行動範囲を限定する。そして、デビルバスター全部隊の出動を要請し、全力で悪魔狩りにあたる。

しかし、管理部と交信できない。そればかりか、通信機構は完全に停止していた。外部への通信も含め、いっさいの通信ができなくなっていた。いったいなぜ。英美が必死で調べた結果、通信機構が破壊されたのではなく、管制コンピュータ室から停止命令が出ていることがわかった。命令を出した人物は不明。ここにも別の異変が起こったらしい。

そのとき、山瀬と由宇香が血相を変えて詰所に飛び込んできた。B6Fのレクリエーション施設とB7Fの居住区に悪魔が出現し始めたという。しかも、今までの比ではない数で。管理部に連絡できないため、住民をとりあえず室内に避難させた。室内の結界は室外のそれよりも強いので、妥当な処置だろう。しかし、他のデビルバスターたちの姿はまったく見られなかったそうだ。ふたたび西野が決断する。住民の安全確保を第一として行動し、まずは各階の状況調査から始める。

B6F。食堂や食料庫には誰もいない。B7F。病院はパニック寸前になっていた。西野の部屋では、陽子と知多が不安そうにしている。さらに下の階の状況も確認しなければならない。しかし、階段前の扉はロックされ、しかも網膜キーが変更されていた。エレベータ前も同様である。ロックが解除できなければ、下の階へは進めない。そのとき病院から悲鳴が!

急いで戻ると、ひとりの看護婦が震えている。霊安室に安置されていたはずの、美莉の遺体がなくなっているという。しかも、床には足跡が続いている。話を聞くうちに西野は状況を把握した。彼の説明によれば、ZMV(Zombie Making Virusの略か?)なるウィルスが関係しているとのこと。これに感染した者は数時間後に死亡し、ゾンビと化して周りの生者に襲いかかる。そいつに喰われた人間もまたゾンビになる。まさに映画『バタリアン』の世界。

ムールムールに殺された際、美莉はZMVに感染しており、ゾンビとなって霊安室からさまよい出た。生前の記憶が残っていたため自分の家に帰る。それを見た両親は、ゾンビと知りつつも匿ってしまう。しかし、デビルバスターに見つかれば美莉はふたたび殺されてしまうだろう。そこで、橘兼嗣は我が子かわいさのあまり、周りが犠牲になるのを承知で、通信機構を停止させ、網膜キーを変更したのだ。だが、それこそムールムールの思う壺である。気づいたときには、ウィルスは手のつけようがないほど広範囲に伝染してしまっている。

もはや一刻の猶予もならなくなった。西野はふたたび決断を下す。まず、山瀬を付けて住民はすべてファームへ移動。事態が沈静化するまでは、誰が来てもロックした扉を開けるなと山瀬に厳命しておく。内部に反対者が現れた場合、混乱を避けるためその人間を拘束する権限も認めた。

残ったメンバーで扉を物理的に破壊・溶接しながらのクリーン化作戦を開始する。これは、各階に潜む悪魔をすべて掃討し、出入り口を塞いだうえで、下の階に進むというもの。ワンフロアずつ確実にクリーン化されていくわけだ。まだ悪魔がシェルター内で十分実体化していない今のうちに、片をつけなければならない。

早坂と英美が溶接用の機材を取りに行っているあいだ、葛城と由宇香は、レクリエーション施設(B6F)にあるエリート居住区(B10F)への直通エレベータの見張りを命令される。しばらくは何も起こらないが、そのうちにエレベータが上昇してくる音が聞こえてきた。それはB6Fで止まり、ドアが開く。中から出てきたのは、喰いちぎられた橘可燐の腕を抱えた、美莉のゾンビであった。ショックで由宇香は気絶してしまう。

応援が駆けつけると、仲間に美莉を任せて、葛城は由宇香を病院へ運ぶ。ベッドに寝かせ、入り口まで戻ると、西野たちが戻ってくる。彼らは何も言わないが、美莉は斃されたのだろう。幼い女の子とはいえ、ゾンビになってしまえば一介の悪魔にすぎない。情け容赦なく斃してしまうほうが、美莉の魂も成仏できるというものだ。

早坂と西野が英美に治療してもらう。彼女は、コンピュータや機械工学だけでなく、最新医学の基礎も修得しているのだ。そのあと、葛城は早坂とともに食料の調達を命じられる。B6Fの食料庫へ。ここで働いていた、早坂の父の姿はない。戻ってくると、由宇香も回復していて、英美の傷の手当をしている。山瀬からの通信で、みんな無事にファームに避難できたことがわかる。陽子や知多、それに早坂の両親もである。食事をとりながら、つかの間の休憩。

作戦続行。B8Fへ。この間、悪魔どもと戦わなければならない。中でも悪霊スタンパーは、実体がないだけに戦いづらく、やっかいだ。0距離になると姿が見えなくなってしまう。その点では外道スライムも同じだが、セラミックブレードを落としてくれるので、むしろ狙い目だ。これを入手できると、以後の戦闘はずっと楽になる。

B8F。やけに静かである。悪魔の姿もない。早坂と英美は溶接に向かい、葛城たちは武器庫へ。ふたりが戻ってくると、全員で装備を調える。だが、部屋を出ると、そこはすでにゾンビの巣と化していた。すでに手遅れだった。死体がゾンビ化する短時間の間に、運良く行動できていたにすぎなかったのだ。この階の人間はすべてゾンビになってしまったのか?

生き残りの人がいないか探さなければならない。まずはゾンビどもを一掃。1ヶ所だけロックされた部屋がある。入隊試験のときに待合室として使った会議室だ。銃でロックを壊して中に入ると、学者がひとり隠れていた。だが、そのままファームに連れていくわけにはいかない。ZMVに感染していないか検査するため病院へ向かう。

B7Fへ戻ってくると、さらなる異変が発生していた。実体をもった悪魔が出現し始めたのだ。それは、結界が破れたことを意味する。ファームが危ない。通信を試みるが、つながらない。良くない兆候だ。急いでファームへ向かう。

ファームの扉を開ける。おかしい。扉はロックされているはずではなかったか。連れてきた学者が、助かったと勘違いして、西野の制止を振り切って奥へと駆け出していく。だが、その学者の悲鳴が。奥へ進むと、そこは阿鼻叫喚の巷と化していた。悪魔に憑依された人が、そうでない人を喰らう凄絶な光景。呻きとけたたましい笑い声がこだまする。山瀬は? だが彼の姿は見あたらない。

悪魔がつぎつぎに葛城たちを襲う。屍鬼・死んだ女、下魔インプ、屍鬼・死んだ男、邪鬼オーク。連戦となる。そして……。ファームの奥にある扉が開き、そこから現れた何かが、ゆっくりとした足取りで葛城たちに近づいてきた。それは、変わり果てた陽子と知多の姿だった。悪魔の憑依によって、知多が陽子の胸にすがりついた形のまま、無惨にも融合したものだ。

早坂の悲痛な絶叫が響く。あまりのことに、ほかの者たちもなす術なくその場に立ちつくしている。しかし、西野の表情は穏やかだった。「最後まで母さんといっしょにいられてよかったな、知多」。彼はそうつぶやいた。悪魔は、過去の記憶の中から言葉を引き出し、くぐもった声で話し出す。敵を惑わせるための心理攻撃だ。

ここで、行動を選択しなければならない。このような姿になってまで生き長らえさせられることは間違っている、と思うなら、葛城たちの手で早く楽にしてやろう(属性がLAWに傾く)。静かに武器を構え直す。しかし、手の震えは止まらない。

魔人・母子合体悪魔人と戦闘になる。ゾンビに見えるが、悪魔と人間が融合した魔人である。子守歌やデスタッチといった特殊能力のほか、タルンダやラクカジャの魔法を操る。斃すと、ダイヤモンドを落とす。陽子の指輪についていたものなのかもしれない。それともネックレスか。

戦いを終えると、アームターミナルに助けを求める橘兼嗣の声が入ってきた。管制室からだ。扉の外に凄まじい霊体反応があるという。切羽詰まった様子。網膜キーは元に戻したとのこと。「早く来てくれっ!」という言葉を最後に、通信は途絶えた。

自分だけは安全なところに避難しておいて、周りの人間を平気で犠牲にする唾棄すべき輩だが、そんな奴でも命は命。自分たちの上官でもあり、なによりも由宇香の父親なのだ。見捨てるわけにもいかない。

B9F、管制室。この部屋は、シェルター随一の強度を誇る結界に守られていたはずだった。だが、葛城たちが中に入ると、血の海の中に兼嗣の死体が転がっていた。駆け寄る由宇香。そのとき、室内にかつて感じたことのある冷気が立ちこめた。ムールムールがふたたび姿を現し、素早く由宇香を捕らえると、自らの腕に抱きあげた。由宇香は必死で抵抗するが、効果がない。

放せといって放してくれる相手ではない。葛城は由宇香を奪い返すため突っ込んでいく。戦闘。だが、先刻と同じく、まったく相手にならない。今度はムールムールも攻撃を仕掛けてくる。一撃でメンバーがバタバタと倒れていく。ネクロマンシーの達人というだけあって、死の吸引、ムド、ネクロマンなど多彩な黒魔術を操る。手も足も出ないまま全滅。

瀕死の状態で身動きのとれない葛城たちの前に、大物悪魔たちが続々と姿を現す。彼らは、こんな小娘が?……人間に転生したのですから致し方ありますまい……バエル様も我らを繋ぎ止めるためとはいえ、なかなか思い切ったことをなさる……などと謎めいた会話を交わす。「御存分に、御賞味下さりませ」。ムールムールの言葉を皮切りに、悪魔たちは由宇香に襲いかかる。絶叫。彼女は生きながらにして四肢を引き裂かれ、喰われてしまう。メガテン恒例、掟破りのイベントだ。いきなりヒロインが殺されてしまった。

だが、実に奇妙なことに、分断された肢体はなお同化されず生き残っているようだ。しかも、肉体を取り込んだ悪魔たちはパワーアップをはたしている。いったいどうなっているのだろうか。満足した悪魔たちはつぎつぎに去り、ムールムールも、バエル様のもとへお届けせねば、と言って残された頭部を持ち去ろうとする。悪魔の首領の名はバエル。葛城の脳裏にしっかりと刻み込まれた。

去り際に、ムールムールは葛城たちに魔法をかけた。ボロ布のようになった体はみるみるうちに回復し、全身を襲う激痛が跡形もなく消え去る。ムールムールは白煙状になり、ゆっくりと四散していく。その白煙の中から、喉をつく甘い香りのガスが発生し、あたりに充満し始めた。

それは、人間という下等生物を駒として弄ぶ、「ゲーム」だった。撒かれたのは遅効性の猛毒。吸い込むたびにじわじわと体力を奪っていく。力尽きる前にシェルターを脱出できなければ、ゲームオーバーというわけだ。もくろみはほかにもある。いちばん生きのいい人間、つまり脱出できた人間を、労働キャンプを治めるダンタリオンに引き渡すつもりなのだ。

ニュートンに装着してある救命用の酸素マスクでは短時間しかもたない。皮膚から吸収される毒ガスは防げないからだ。対化学戦スーツが必要である。スーツが置いてあるのは、B5Fの詰所近くの部屋と、ここB9Fの予備の部屋だ。万一の場合、管理部のエリートたちだけは生き残れるように、ということだったらしいが、皮肉なことに、そのエリートたちはみんな死んでしまった。

血塗られた床に呆然と立ちつくす葛城を連れ、一行はやっとの思いでスーツ室にたどり着く。だが、ケースは5つあるのになぜかスーツは3着しかなかった。これもムールムールの仕業なのか? これで、4人(西野、早坂、英美、葛城)のうち、少なくとも誰か1人は助からないことになった(ニュートンは機械の体なので大丈夫)。

葛城以外の3人は、それぞれ自分が残ると主張する。西野は、隊長である自分が助かり、君たちを死なせることなど到底できないという。早坂は、隊長を犠牲にして生き残っても、一生後悔し悩み続けることになるから、自分は着ないという。英美は、自分は足手まといになるだけだから、みんなに生き残ってほしいという。さて、葛城はどうするか。ここでの選択が以後の展開と属性に影響する。

ここでは、スーツを着るのを諦めることにする。葛城は、自分が犠牲になるとみんなに言い放った。西野は「絶対に許さんぞ!」と叫ぶ。西野は葛城の父に命を救われた。その忘れ形見を見殺しにしては、葛城の父に申し訳が立たない。それに、西野にとって葛城は息子も同然。知多を失った今、もうひとりの息子まで失うわけにはいかない。

だが、葛城の耳には、もう何も聞こえてはいなかった。愛する由宇香を失い、生きる意味を見失っていたのだ。仲間の制止を振り切って部屋を飛び出す。英美は、ニュートンに葛城のあとを追うようにいう。追いついたニュートンは、まるで寄り添うようについてくる。しかし、葛城は振り向きもせず、毒ガスの溢れる中を管制室目指して駆けていった。

由宇香が無惨にも引き裂かれた部屋。床の血溜まりが生々しい。毒ガスのせいで意識が朦朧としてきた。力無く床にくずおれる。恐怖心はなかった。苦しみから解放され、静寂を得られるのだから。そこへ、ニュートンがきらきらと輝く物をくわえて来て、葛城に渡す。由宇香のペンダントだった。唯一の形見だ。だが、自分ももうすぐ同じ場所に行けそうだ……。

再生

シーンが変わる。そこは、黄泉比良坂よもつひらさか。あの世とこの世を結ぶ通路である。中心部に向かって渦巻き状の通路が長く伸びている。この中心部を目指して進むことになる。

道すがら亡者たちがうようよしていて、話を聞くことができる。原宿シェルターの住人らしき人。DDMの話をする人。自分が死んだことをうまく理解できないでいる人もいる。その中で、「悪魔は炎を……最後に光が…」というメッセージに注意しておこう(第5章4節参照)。ちなみに、メッセージは複数回話しかけると変化するようだ。どうしても変わらないときは、まず正面で会話し、一度通り過ぎてから振り返って話しかけるといいだろう。

奥へ進むと、悪魔も徘徊している。幽鬼ガキ、屍鬼シーゾンビ、邪龍イカヅチ、水妖イヒカなど。アンデッド系はNPCと紛らわしいが、間違えてはいけない。とにかくやられたらそれまでだから、接近戦にもちこむよりも、銃か魔法に頼るのが安全だ。ただ、HPは泉で回復できるが、MPはレベルアップしないかぎり回復できない。魔法を使うときはMPの残量に気をつけよう。

最深部で黄泉醜女よもつしこめに会う。話を聞くと、葛城は生者のまま黄泉比良坂に来ているという。つまり、葛城はまだ死すべき運命にはない。このようなできごとはイザナギ神がやってきて以来だとか。

不愉快なのでここから立ち去れ、と言われるのだが、こちらも好きでいるわけではない。そう話すと、脱出方法がわからないのかと尋ねられる。ここでNOと答えると、からかわれたと感じた黄泉醜女は激怒。魂の一欠けまで喰ろうてやる、と叫んで葛城に襲いかかろうと身構える。

すると、どこからともなく女性の声がして、あなたはまだ死んではいけない、という。私の身体を云々というセリフから、由宇香の声のようだ。一陣の風が巻き起こり、葛城の身体はその突風に運ばれる。風のおかげで黄泉醜女の攻撃をかわすことができた。文字通り、現世へ舞い戻る。

コラム:黄泉比良坂

記紀神話によると、イザナミの蘇生を願って黄泉に降りたイザナギは、彼女との約束を破ってその醜い正体を見てしまう(腐って蛆がわき、身体から八種類の雷神が発生している姿だったという)。恐れをなしたイザナギは地上に向かって逃げ出すが、恥をかかされたイザナミは激怒し、黄泉軍よもついくさと黄泉醜女たちに後を追いかけさせた。

イザナギが呪物を駆使して追跡をかわし、地上の葦原の中つ国と黄泉の国との境にある黄泉比良坂までたどり着いたとき、イザナミ本人が追いかけてきた。イザナギは巨大な岩でその坂道を塞ぐ。そして、このとき、イザナミは地上の国の人間たちを一日に千人縊り殺すと宣言する。これに対し、イザナミも地上の国の人間たちを一日に千五百人生まれるようにすると宣言した。以後イザナミは黄泉津大神よもつおおかみと呼ばれるようになった。

イザナミは国生みをした地母神であり、地上にあっては豊穣を司る存在だった。しかし、地下にあっては死の女神と化したのである。これは、地母神の残虐な側面を表しているものと考えられる。

なお、イザナギが道を塞ぐのに用いた大岩は、千引岩ちびきのいわという。千人もかかって引くほどの大きな岩石という意味だ。この一件で、千引岩は道返之大神ちがえしのおおかみと名づけられた。古代において、岩石は悪霊邪気の侵入を防ぐものと信じられており、こうした信仰が、この神話の背景にあるようだ。

異界から帰還した葛城は、意識を取り戻す。目を開けると、そばにはニュートンの姿があった。英美の命令を忠実に守りつづけたのだ。ニュートンは起きあがった葛城をうれしそうに見上げ、しきりに尾を振っている。

葛城の体には力が漲っていた。シェルターを出て、助かったであろう西野たちを探そう、葛城はそう決心した。シェルター内には毒ガスがまだ残留している。対科学戦スーツなしでも行動に支障はなさそうだったが、ぐずぐずしているとどんどん体力を失っていくだろう。さっそく管制室を出ようとすると、ニュートンはメインコンピュータに向かって吠えたてる。それを見て、葛城はコンピュータから必要なプログラムを抜き出すことを思いついた。ニュートンは、本当に不思議な犬である。まるで、何もかも人間と同じように考えられるみたいだ。

DCS Ver1.0とDAS Ver1.0を入手する――のだが、このDASはDDSの間違いだろう。これ以後、悪魔と会話し、仲魔にし、召還できるようになるのだが、これ以前にDDSは入手していなかった。インストールできるのはここしかないはずなのだ。

コラム:覚醒

死と再生。実は、これこそが『偽典・女神転生』の物語を貫く大きなテーマである。因果律をも超えた偉大なる何かに導かれ、転生を繰り返し、新たな自分を見いだすこと。それが葛城の宿命なのである。その証拠に、死の淵から蘇った葛城はここで愚者から異能者に覚醒する。過去世の因縁か、それとも……。

ちなみに、覚醒すると射撃、魔道、コンピュータのいずれかの技能が身につく。そのメカニズムについては第1章1節のコラムを参照してもらいたい。

ふたり(?)でシェルターを脱出することに。管制室のあるB9Fにはターミナルがあるので、忘れずにセーブしておこう。回復ポイントで香を焚いてみるのもいい。シェルター内をまわったときに、かなりの数を入手しているはずだから。

B5Fのゲートを通る前に、B8Fの武器庫とB6Fの食料庫に立ち寄る必要がある。武器庫ではモスバーグM500、ウージーのいずれかを選択できる。モスバーグのほうが無難だろう。銃に合わせて弾薬も入手する。B7Fの病院では、治療施設で回復していける。食料庫ではレーションパックを入手。

シェルター内はもはや悪魔の巣窟と化しているが、経験値を稼いだり、悪魔との会話の訓練をするには絶好の場所ともいえる(ただし、HPの残量には注意)。ゾンビ系は会話によって成仏させることも可能。また、B7Fの地霊ブラウニー、B6Fの妖精レプラホーンなどは仲魔にできる。悪魔との交渉術をマスターすることは、偽典というゲームを楽しむためにも必須である。ぜひチャレンジしよう。

そして、ゲートにいるガードロボット。本来ならIDを照合すれば通してくれるはずだが、壊れていて、有無を言わさず襲いかかってくる(マシン・ゲートロボット)。とはいえ、電撃に弱いのはロボット系の常。マハジオストーンがあれば楽勝だ(弱いので剣だけでも十分かもしれない)。撃破するとフォトンスリングを入手できるので、ニュートンに装備させてやろう。

1Fへは、エレベータで直行するのが早いが、階段をのぼっていくこともできる。当然悪魔が出現する。妖獣ボギードッグ、幽鬼リリーヤカー、魔獣クダギツネ、妖鳥ボギーレイヴァンなど。エレベータを使った場合も、1Fで下魔ナアス蠅、外道クラップスライムを片づけないと進めない。

地上へ脱出。しかし、行くあてがあるわけでもなく、不安は募る。隔壁扉を開ける瞬間、葛城の胸に去来するものは……?

さて、最後にスーツ室で自分だけは絶対に助かろうとした場合の展開について触れておこう。葛城は、言い争う3人を尻目にさっさとスーツを着始める。西野たちの自己犠牲の精神を偽善としか思えなかったのかもしれない。このとき、犠牲になるのは西野である。西野は部屋を飛び出していく。ニュートンと早坂があとを追うが、早坂は西野を見失い、戻ってくる。葛城、早坂、英美の3人で脱出。属性はCHAOSよりに。

対化学戦スーツのおかげで、移動中ダメージを受けることはない。管制室に行ってみるが、西野はいない。プログラムを入手。落ちていたペンダントも拾う。武器庫で装備を調え、食料庫で食料を調達したら、B5Fのガードロボットを撃破して、1Fへ。毒ガスの濃度もかなり低下してきた。もはやスーツは必要なさそうだ。スーツを脱ぎ捨て、地上へ脱出。西野はどうなったのだろうか……?

補足

本文に書ききれなかった部分や、文章の流れを考えてあえて書かなかった部分を以下にまとめておく。読みやすいようにコラム形式にしたが、独立したコラムにもならないくらいの小ネタは前にもってきた。補足とはいえ、内容が薄いわけではないので、ご安心を。

まずは小ネタから。その1。なぜ、偽典は『初台』シェルターから話が始まるんだろうか。それ以外の場所ではなく。ほかにもいくつかシェルターがあるのに。この謎、たぶんわからない人にはまったくわからないだろう。なぜなら、ずいぶんと「内輪ネタ」な話だからだ。

答え。アスキーの本社が初台にあるから。'93年夏に南青山から初台に引っ越したのだ。本社のある場所をスタートに選ぶとはね。やはり思い入れがあったのか、それともちょっとした遊び心?

その2。みなさんは、デビルバスターの元ネタをご存じだろうか。少なくとも直接のルーツは、ファミコン版『女神転生II』である。この作品は『旧約・女神転生』としてリメイクされている。そのオープニングストーリーは、核戦争後の荒廃した東京で、シェルターで育ったエリートの少年が、コンピュータゲームを遊んでいるうちに悪魔パズスと出会うというもの。

そして、そのコンピュータゲームの名前こそ、『デビルバスター』だったのだ。さらに言うと、『デビルバスター』自体も、ナムコの横スクロールアクションゲーム『ドラゴンバスター』を意識したネーミングである。ファミコン版『女神転生II』の発売元がナムコだったといえば、その関係も自ずから明らかだろう。

ちなみに、『女神転生II』は、シナリオ、世界設定、悪魔設定、合体、悪魔会話、魔法のすべてを鈴木大司教が担当している。偽典にデビルバスターの名前が使われ、背景設定が『女神転生II』に似ているのも、制作者が同じ人だからなのだ。

次に、単発コラムをお送りする。ムールムールの行動を軸に、原宿シェルターからメールが送られてきたあとの展開を整理してみたものだ。複雑な展開で情報量が多いだけに、ゲームをプレイしているときはなかなか全体像を把握することが難しかったのではないだろうか。少し引いたところから眺めてみたとき、ストーリーがどう見えるか。それがこのコラムのテーマである。

コラム:初台シェルター潰滅作戦

ムールムールの当初の計画

1.ファイルを解凍した人間に憑依し、生体マグネタイトを吸収すると同時に手足とする。御茶ノ水シェルターにDDMを送らせる。
2.霊安室の死体を直接ゾンビ化する。ZMVが死体にも感染すると仮定すると、これを利用したのだろう。ZMVの元ネタが映画『バタリアン』にあるなら、この線が濃厚だ。もしそうでなくとも、死霊魔術を使えばよい。
3.密かに人間を襲い、全身の血を抜き取ってより多くのマグネタイトを確保する。同時にZMVに感染させ、死体のゾンビ化を狙う。
4.ZMVが蔓延し、シェルターが混乱したころを見計らって実体化。結界の力を弱めつつ、最下級の悪魔たちを召喚する。デビルバスターをターゲットに暗殺開始。悪魔への対処を困難なものにする。
5.シェルターの中枢部に対する破壊工作。結界はほぼ消滅。実体化した、より強力な悪魔を召喚する。イシュタルの転生体を捕らえ、呼び寄せた大物悪魔にその体を喰わせる。自らは頭部をバエルのもとに持ち帰る。
6.シェルターの最終処理。毒ガスを撒き散らして隠れている人間を殺す。地上に脱出できた人間はダンタリオンに引き渡し、強制労働キャンプの労働力とする。

計画外の事態1

1.計画2は、死体安置BOXが電子ロックされていたため、扉を掻きむしるだけに終わった。
2.西野たちに正体を見破られ、挑発されたため憑依をやめる。計画4以降の実現を前倒し。回収されてしまったDDMは、御茶ノ水シェルターに再送付したようだ。

計画外の事態2

1.デビルバスター隊司令の橘兼嗣は、原宿からのメールで始まる一連のできごとについて、確度の高い情報を入手。経路は不明だが、西野から報告を受けた可能性もある。
2.ゾンビになって娘が家に帰ってきたことを知るが、娘をかくまうため通信機構を停止させる。事態を知るデビルバスター第2部隊が謹慎命令を無視して行動することが予想されたため、隊員の網膜キーを変更してB8F以下への進入を阻む。
3.自分の安全を確保するため、B9Fを封鎖。結界のパワーを最大限に引き上げて管制室に閉じこもる。

帰結

1.通信機構の停止により、デビルバスターたちは混乱。悪魔やゾンビに対する組織的な対処が困難になったため、ゾンビに襲われるか、ムールムールに暗殺されるかしてあっけなくやられてしまう。計画の前倒しが容易に。
2.結界の弱体化もスムーズに行われる。実体化した悪魔もほとんど抵抗を受けない。人々が集まるファームに悪魔が侵入。
3.ムールムールは管制室を占拠し、シェルターを完全に沈黙させる。このとき、閉じこもっているのが橘兼嗣であり、由宇香をおびき寄せる格好のエサだと気づいたようである。

単発コラムの次は、連作コラムである。題して、「シェルターの生活」。イベントだけを追っているとあまり気づかないが、初台シェルターの背景設定は、相当凝ったものに仕上がっている。ゲームの冒頭部分だけに、制作スタッフの人たちも気合いが入っていたんだろう。ちょっと情報を詰め込みすぎたと思うくらいだ。以下ではその膨大な情報を存分に利用させてもらい、想像を膨らませてみた。お楽しみいただきたい。

コラム:シェルターの生活1

通貨:シェルター内で流通している通貨は、マッカである。シェルター内外でお金の区別がされていないことから、それとわかる。あたりまえのことのようだが、よく考えてみると、これはあたりまえとはいえない。シェルターは大破壊前の支配者層が築いたものである。しかも、当初は政府のコントロールを地上にも及ぼす予定だった。とすると、通貨発行権という政府の重要な権限を手放さないためには、引き続き円を通貨として使おうと考えるのが自然だ。なのになぜ、シェルターでマッカを使うようになったのか。

手がかりがないので、推測に頼るしかない。たとえば、こういう事情があったのではないか。たしかに、大破壊後すぐの段階では各シェルターの協調政策により円制度を延命させようとした。中央銀行がなくても、通貨の流通量を適切にコントロールできるならば、その目的を達成できるはずだった。だが、この政策は失敗する。各シェルターの連帯が薄れ、それぞれ必要に迫られて活発に地上と取り引き(シェルターで開発された武器や、飲料水としての地下水を「輸出」し、生産等に必要な物資・原料を「輸入」)をするようになったことが原因だった。

当時、すでに地上ではマッカが流通していた。地上が無政府状態になったため、円の価値も崩壊したからである。成沢大輔氏によれば、マッカは魔界の宰相ルーキフーゲ・ロフォカレの指示によって魔界で鋳造された金貨だという。この金貨はそれ自体が価値をもち、悪魔に対しても通用する。シェルターは外部との取引を円滑に行うため、マッカを通貨として採用し、今日に至ったのだろう。

コラム:シェルターの生活2

電力:自家発電しかありえない。だが、発電方法は不明だ。太陽光発電や、地下水の噴出力を利用した水力発電で全電力をまかなうのは難しいと思われるが、だからといって原子力発電は危険が大きすぎるし、巨大な設備が必要になってくる。考えられるのは、常温核融合を実現していたというあたりか。これなら巨大な原子炉は不要だろうし、放射線対策の点も、核シェルターだけになんとかなるだろう(シェルターの隔壁扉には、放射線を遮る鉛が使用されている)。

それでも、核燃料は必要だから、これをどこから調達するかが問題になってくる。大破壊後だとかなり難しいはずだ。それとも、永久機関が発明されていて、最初に投入された電力が減らないのか。もしそうならすごいが。

余談だが、初台シェルターは崩壊後もしばらくメインコンピュータが動いていた。また、以後もターミナルは利用可能だ。緊急事態に備えて、予備の自家発電装置が設置されていたのだろう。

コラム:シェルターの生活3

通信と交流:端末からフォーラムを見ればわかるように、シェルター間の通信は非常に活発だ。市民どうしの情報交換は盛んに行われていたようである。また、〔通常情報〕や〔DB専用情報〕を見ると、秋葉原や神田ともやりとりがあることがわかる。人々はオンラインショッピングも楽しんでいた。

さらに、地上が危険だとはいっても、シェルター間での人の行き来は思った以上に行われていたようだ。たとえば、英美の両親や由宇香の母親は、原宿シェルターに居住していた。英美はひとりで初台にやってきたのだ。そればかりか、違うシェルターの人と結婚することも珍しくはないという。あと、西野隊長がZMVの蔓延する例を何度も見てきたと語っていたが、これも間接的な証拠になる。外部との交流があったからこそ、ウィルスはもちこまれたのだろうから。

蛇足になるが、シェルター間を移動する際は護衛がどうしても必要になる。この護衛をデビルバスターが務めていた可能性もあるが、筆者は傭兵と契約していたんじゃないかと考えている。生産施設を破壊された地上には、失業者が溢れていることだろう。食べていくために体を張って傭兵稼業をしている人は少なくないはず。ペンタグランマも実戦経験の豊富な彼らを吸収して組織を拡大したのではないだろうか。

端末:キャラクタベースに見える点が謎だ。ハイテクシェルターにはそぐわない。もちろん、シェルター内で回線を増設するのは簡単なことではないので、限られた帯域幅を有効に利用するためにあえてそうしている可能性もある。だが、それにしては原宿からのメールにあったように、ギガバイト単位の添付ファイルをダウンロードできたりもする。GUIのほうが表現としてはリアルだったといえよう。なお、管理部やデビルバスターは衛星回線も利用できるようである。

コラム:シェルターの生活4

レクリエーション施設:B6F全体を指す。利便性を考慮した設計になっていて、たとえば、バーチャルトレーナーは食堂のとなりにある。ここで運動してお腹がすいたら、すぐに食事がとれるというわけ。また、B10Fのエリート居住区と直結したエレベータがあり、エリートたちが手軽に利用できるようになっている。

ファームの樹木エリアもレクリエーション施設の一部だ。レンズを使って外界の光を採り入れているとかで、住民の憩いの場となっている。凸レンズで光を集め、光ファイバーを使って伝送する装置は現実に存在している。完全防備のシェルターでも、この方法ならどうにか採光は可能だろう。ちなみに、ファーム内には生産施設や研究開発施設もあるが、一般人の立ち入りは許可されていない。

配給制:物資にかぎりがあるので、配給制が敷かれている。エリート階級から優先的に分配される。とくに天然素材の服や天然の食材はエリートの特権だ。だが、ファームで生産され一般市民に配給される合成食は、清潔で安全。しかも無料だ。服をはじめとする日用品についても同様のはずだが、ストーリー中では触れられていない。

医療:外傷の治療や延命治療は大きく進歩した。かなりの重傷でもごく短期間に治癒する。ただし、医薬品やサイバーパーツは外部から購入しているので、治療は有料である。サイバーパーツで肉体を改造できるのも、エリートだけだろう。

一方、ウィルス性の病気には特効薬がないので、ワクチンを使っている。ZMVも血清しか対処方法がなかったのである。万が一亡くなった場合は、霊安室に安置される。墓地を造るスペースがないからだろうが、火葬にしない理由はわからない。橘美莉が安置されていたことから、エリート階級だけ特別扱いされることもないようだ。なお、変死体は司法解剖を経てから安置される。

コラム:シェルターの生活5

市民階級:もともと、シェルターは大破壊を予見していた「地位のある人々」(序章参照)とその家族たちが逃げ込むための場所だった。しかし、彼らと何らかの形でコネやツテのあった一般の人々もこぞってやってきたため、集団内で秩序を形成する必要が生じた。それが、市民階級成立の発端である。

市民ランクA以上がエリート階級であるのに対し、市民ランクCは労働者階級になっている。彼らに対しエリートたちがどれほど強い差別意識をもっているのかは、橘兼嗣が見せつけてくれる。だが、ここで注目したいのは、それほどあからさまな差別があるにもかかわらず、「同じ市民」という建て前になっている点である。

これは、「分離されているが平等」という巧妙な統治システムだ。そして、市民ランクが低くてもデビルバスターになる道を開いておくことで、エリート階級には差別の口実ができる。「地位が低いのは努力しないから。自業自得だ」というわけ。また、不満のガス抜きにもなり、反乱の勃発を防げるので為政者にとって都合がいい。つまり、デビルバスターという制度そのものが、統治システムの安全弁になっているのだ。

一方、悪魔たちは人間を奴隷としてこき使い、殺してしまう。これがひどいやり口であることはもちろんだが、差別を隠蔽するほうが「人間的」といえるかは、実は微妙なところだろう。

コラム:シェルターの生活6

思想・教育:シェルター内で宗教は、前時代の遺物とみなされている。ハイテクで武装したシェルターでは、科学こそが宗教なのだろう。だが、悪魔も魔法も結界も存在する世界で、そんな単純な科学崇拝が成り立つものだろうか。ひょっとすると宗教に対して否定的な感情をもつように、思想統制が行われているのかもしれない。ただ、このような設定であればこそ、初台シェルターと同様に信仰をもたない人々が暮らしているはずの御茶ノ水シェルターを助けようとした、ファニエルの行動の崇高さが際立つという構図になってはいるのだけれど(第5章4節参照)。

端末から【思想/哲学】のフォーラムへ進もうとすると、「あなたの市民階級では利用できません」というメッセージが出てはじかれてしまう。思想の自由が認められるのはエリート階級だけ。反体制化されると困るということなのだろう。ここに思想統制の一端を垣間見ることができよう。そのくせ、山瀬が語っているように前時代のビデオ鑑賞は許されている。一貫性が感じられない。

あと、清潔志向の人が少なくなかったり、暴力反対の人もいたりするわけだが、これが思想統制の結果なのかどうかは判断が難しい。管理する側の立場に立てば、合成食などに文句を言われたり、シェルターという閉鎖された空間で暴動を起こされたりすると面倒なので、統制したいとは思うはずだ。だが、清潔志向を徹底すると天然の食材を食べるエリート階級の立場が悪くなるし、暴力反対だとデビルバスターの立場が悪くなる。やはり積極的な統制はなされていないと見るべきではないだろうか。

ちなみに、シェルター内に学校らしき施設が見あたらないことから、住人たちは端末を通じた通信教育を受けているのだと考えられる。このやり方だと生徒の自由度が高くなるぶん、思想統制はやりにくいかも。

コラム:シェルターの生活7

人口事情:配給制を敷くくらい物資にかぎりがあるシェルターでは、人口増加は憂慮すべき事態である。端末からアクセスできる〔通常情報〕によれば、年々人口が増加するため、御茶ノ水シェルターの自給自足体制は行き詰まりつつあるということだった。初台シェルターでも状況は似たり寄ったりだろう。この問題の解決策は、結局のところ2通りしかない。物資を増産するか、人口増加を抑制するかである。

前述の情報は、食料を外注して生産を増強するという話だった。もう一方の人口抑制策については、何ら触れられていない。だが、実際にはどこかの国の一人っ子政策みたいなことをやっている可能性は高い。

おそらく、2人目を生んだら罰金、というような生ぬるい手段ではとても対応できないだろう。そもそも2人目が生まれないようにする、何らかの処置が施されているはずだ。といっても、断種や避妊用の器具を埋め込むといったダイレクトな手段は反発も大きい。遺伝子治療の技術を応用して、1人目を生んだ時点で、女性を密かに不妊化するようにしているのではないかと推測される。この方法なら、適当な口実をもうけて注射を何本か打てばすむだろうから。

ただし、エリートだけは例外で、子供をたくさんもうけられる「特権」をもっているようだ。たとえば、橘兼嗣には由宇香と美莉というふたりの娘がいるが、シェルターのほかの地区では、このような家族は皆無である。西野でさえ、葛城を我が子同様に育てたとはいえ、実子は知多だけだ。そして葛城も、一人っ子なのである。

この一人っ子政策は、離婚・再婚制度と結びついてくるだろう。再婚するたびに子供をもうけるのではこの政策の意味がなくなるので、なかなか離婚できないようになっていると考えられるからだ(子連れで再婚した場合は以後子供を作ってはいけないとすることも考えられるが、この不平等なルールを守らせるのは難しいだろう)。この考えが正しいとすると、産児制限のないエリート階級は、離婚を自由に認めてもかまわないことになる。

そして、贅沢な暮らしを保障され、ワガママが許されているエリート階級の男性は、女性関係もルーズである可能性が高い。「不倫も文化である」と開き直るヤツもいるかもしれない。こういう連中に離婚・再婚は自由という制度を与えたらどうなるか。橘兼嗣のような例が出てくるわけだ。母を裏切った父を、由宇香は許せなかった。父に対する反発は、そのままエリート階級全体に対する反発につながり、彼女は一般居住区に住むことに決めたのである。

コラム:シェルターの生活8

デビルバスター:子供たちが将来なりたい職業のナンバーワンに輝く、シェルターでは花形の職業。入隊試験は難しく、仕事もハードだが、シェルターの平和を守るかっこいい存在だ。階級を問わない実力主義である点も、魅力なのだろう。ただ、公務員なわけだから、それほど高給がもらえるはずはない。危険な任務をこなした場合は手当がつくとか、そういったことで補填されているのかもしれないが。

それに、ゲーム中でははっきりと触れられていないが、デビルバスターの仕事には警察業務も含まれているはずである。とすると、治安維持のため、ダーティーな仕事もしているはずなのだ。反乱分子を未然に制圧するとかね。こうした側面が少しでも描かれていれば、デビルバスターのイメージに陰影ができて、もっとリアリティが出たと思うのだが。

余談だが、ゲーム中に登場するデビルバスターは数が多すぎる。入隊試験が高倍率だという設定なのだから、こんなにいるとおかしいだろう。いろんな意見のデビルバスターがいることを表現したかったのかもしれないが、設定と矛盾するのはいただけない。一般人の比率をもっと増やすべきだっただろう。

初台シェルター編を締めくくるにあたって、個人的な感想を少し。筆者としては、この初台シェルターのイベントが一番のお気に入りだ。運命に翻弄される無力な人間、という感じがよく出ているからである。マンガなんかもそうだが、後半主人公が強くなりすぎると物語としては面白味に欠ける。新鮮さがなくなって、しらけてしまうのだ。だからといってあまり強い敵を設定するのも、「力のインフレ」が起こるのでやはりつまらない。物語は、最初のところで波乱含みにするほうがインパクトがあっていい。その点、偽典はうまくやっているとおもう。

それに、未知の部分がたくさんあって、ワクワクさせてくれるところもいい。といっても、ただ謎を示せばいいというものでもない。伏線やヒントをちゃんと残しておいてくれなければ。想像力をはたらかせて、あれこれ推測するのが楽しいのだから。これに関しても偽典はゲーム全体を通してなかなかよくできているが、とくに初台シェルターの謎は光っている。第1章と第2章に綴られたコラムをご覧になれば、そのことを納得してもらえるはずだ。


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